【画像は内容に微妙に関係あるようなないような?(´Д`;)】
ちょーっとウェットな内容になるかも知れませんので、そういうの苦手な方はすいません、回れ右お願いいたします。(*_ _)人
そうですね。
まあ幸いな事に、ワタシはこれまで大きな病気にかかったことも、大きな事故に遭ったこともありません。
身近な人間も今のところ、誰一人欠けることなく元気でおります。
(…ってこれは時間の問題かなと思ってはいますが。(;´∀`))
先の震災でも在住地区は大きな被害もなく。
物質的にも、ゼイタク言わなきゃ精神的にも充足した生活を送っていると思います。
ま、もしかしたら単にハードル低いだけなのかも知れませんけれどもね。w
人さまから見たら、替わりたい、とまでは思われない人生かも知れませんし、色々なところで細かなゴタゴタはあるものの、概ね満足の行く生活を送っております。
そんな中で。
何かを抱えている人を前にした時に、どうしたらいいのだろう。
以前にこんな事を伝言板でも呟いたことがあったと思います。
何か言葉を掛けたいと思っても、同じ体験をしていないところからの言の葉というものは、実に軽々しい気がして。
それをメッキで飾り立てることは得意だけれども、そんな安っぽいものはそうした場合贈るべきではない気がして。
こうした場合、その人に寄り添って当を得た慰めなりアドバイスができる方が居られるのは知ってますし、そういう方の行動、発言を否定するものではありません。
ただ、ワタシ個人の事に限っては、そういう場合黙り込むしかないのです。
例えば。
それこそ先の震災で、従姉妹は本当に被害の酷かった地区にいて。
後になってその時の生々しい体験を聞く機会があったのですが、やはりそこで交わされる自身の相づちには非常に納得できない、もどかしい物があったのです。
だからそんな場合。
せめて美味しいおでんを作るしかないのかな、と思います。
以前に主催するイベントのことを「カフェ」に例えて、好きなタイミングで都合の良い時に参加してくださればいい、と何人かの方に言った気がするのですが、これを少し推し進めて季節柄「おでん」かなと。
例えばよく通る公園なり通りにある、なじみの屋台のおでん屋がある。
例えばある人に何か辛いことがあったとして、そんな時にもそのおでん屋は提灯に灯りを点している。
入っていつものはんぺんと玉子と大根を注文してみる。
一口含んで「ああ、これ、いつもの出汁の味だなぁ」と思う時に、またはもしかしたらそこに居る顔馴染みさんと何気ない言葉を交わす時に。
束の間でもその人は喪っていた自分自身を取り戻すことができるのではないかと思うのですよね。
ほんの僅かな慰めにしかならないかも知れませんが。
その人は屋台を出たら、また寒空を歩いて行かなければならないのかも知れませんが。
それでもそのおでん屋は存在しないよりはマシだと思うのです。
ちょうどそんなような歌もあったので、クリスマスプレゼント代わりにお送りします。
ちょうどフレの某氏も「ピアノマン」なことですし。^^;
Piano Man/Billy Joel→YouTube https://www.youtube.com/watch?v=gxEPV4kolz0
歌詞対訳(個人の方のHPなので注意してください;)→http://turedure4410.blog32.fc2.com/blog-entry-346.html
古いふるい歌ですが、優しい旋律が色々なCMに使われていたりしますので、恐らく多くの方が一度は耳にしたことがある曲なんじゃないかなと思います。
いつもの皆が集まる場所。
一時でも抱えている物の重さや痛みを忘れられる場所。
そんな場所をこれからも作っていければ良いなと思います。