こんなところで寝たら死ぬぞ!
いまさら災厄後の後日譚を終えました。まさかあんなに時間かかるとは。
これ、受注しっぱなしだと、真災厄のお手伝いが出来ません。
キャンセルすればいいのですが、最初からやり直しになってしまうのです。
なにをかくそう、ぼくこのクエ二回目です。一回目は途中で真災厄のお手伝いが入ってキャンセルしましたから。
というかこの写真はネタバレ扱いなのだろうか? タイムライン見えてますか?(サブで見れば良いのか)
ネタバラシになるのであまり詳しいことは言えませんが、この話に出てくる王国ってどこかに実体として出てきたりするんでしょうか。災厄自体が期間限定クエあつかいだけどどうするんだろう。
さて、以下全然関係ない話をしますので、興味の無い方はここでお帰り下さい。
いま、もうひとついまやってるゲームでひとと話ていて、ああそういうことってどこにでもあるんだな-。思うことがあったのでちょっと書いてこうかとおもいます。
経験主義の危険ってのをね、よくおもうんですよ。体験した、見たことをものすごく大事にしている。なるほど、いいですね。自分でやってみないことは鵜呑みにしない。大事ですね。
じゃあ、やってみたことを体験したこと鵜呑みにするのは良いのでしょうか? 「見たんだから見たんだよ」って思うかも知れませんね。
でもねー。
ひとはみたいものを見るんですよね。見るってこと、体験するってことは思っている以上に予断に左右されるんですよ。これは動画を探してもらえばわりと簡単に体験できますが、目の前に見えているものを人が見てない、っていうことが分かる動画があります。そこにあるんだから見えるだろう、というのは間違いなんです。
人間は脳で見たものを処理しますが、視界に入ってきたもの全部を処理してしまうとパンクしてしまうので、間引いているんですね。どうやって間引くかというのは脳がそのときの文脈に応じてやってるわけですよ。脳が何か予め情報を与えられていたりするとそれに応じて間引き方が変わっちゃうんです。眼はビデオじゃないんだなー。
あなたが見ているものは見えているとおりとは限らない。
もちろん。
ぼくたちの時間はかぎられてるわけで、すべてを見てから判断することなんて出来ません。でも、いったん判断したものが、そのとき見えてなかったものによって簡単にひっくりかえってしまうかもしれない、そういうことは頭の片隅にあっても良いんじゃないかなーなんておもうのです。
もうひとつ、ぼくは記憶にたいしても懐疑的ですが、まあそのはなしはまたこんどにしておきます。