そうこうしているうちに、俺が泊まっている宿屋の前まで来た。いつの間にか、結構歩いていたらしい。こんな夜更けに人が出入りしているのか、扉は開けっ放しになっていた。
「まあ、夢想というのも筋違いの、あんたの口八丁の新事業なんて知ったこっちゃないね。あたしが今欲しいのは現金、わかる?あのきらきらした金色の、丸いコインだよ」
「ああ、はい、ステキな色ですよね金色の…」
『きらきらした丸いコインなら、現金袋に小さなメダルを紛れ込ませればワンチャンあるかも』とも思ったが、生憎小さなメダルも閑古鳥だった。ほんっと役に立たねえな、あの骨董品。
そして、宿屋前に着いたあたりで、ウェディの女は恐ろしい話をしてきた。
「そうかそうか、なら話が速い。モノがわかるなら取ってくるのも簡単だな、フランダースの犬君?よし、取ってこい」
「え?」
「1週間で500万」
「はあ!!?」
とんでもない金額を掲示してきやがった。1週間で俺の年収並の現金を用意しろと言うのか!
「犬が口答えすんな。返事は?」
「え、いやいやいや、500万ってアナタ…日替わり討伐じゃ高くても日に4万が限度…」
「返事は?」
だめだ、全然交渉に応じてくれる雰囲気じゃない。
「いいんだよ?用意できないってんなら、あんたの『首輪』を使うだけさ。あんた以外にも借金返してもらうアテはあるんだ。そいつに、あんたの代わりに働いてもらうだけさ」
そう言って、女は一旦言葉を切った。睨み付けてやりたかったが、下手をしたら本当に『首輪』を使われるかもしれない。
つまり、俺が死んで、誰か知らない人のところに借金が降りかかる。
そうまで言われたら、従うしかない。死んでまで人に迷惑はかけたくない。渋々、俺は
「…はい…」
と返事をよこした。
それを聞いたウェディの女は、悪い笑顔のまま満足げに頷き、俺の肩から手を放して、軽く俺の背中を押した。ここまで、若干前屈した姿勢で歩いてきた俺は、急に姿勢を崩されてよろけた。
「よーしよし、いい子だ。じゃあ、さっそく…」
ウェディの女はそのまま俺の後方に下がり、何を思ったか、右足を後ろに振り上げた。
「あ、『首輪』使われなくても死ぬかも」
そう思ったと同時に、女は俺の腰を思いっきり蹴り上げた。同時に、
「馬車馬より働け!」
と怒号を上げた。
***************
女に蹴っ飛ばされた俺は、その勢いのまま宿屋の扉をくぐり、顔面から床に突っ込んだ。扉自体はたまたま開いていたので、そっちにぶつからなかったのは不幸中の幸いか。この状況で扉を壊して弁償なんて、まさしく泣きっ面に蜂だ。
俺が鼻頭をつぶされて悶えている間に、ウェディの女は姿を消していた。大の男を蹴り上げて浮かすなんて、どういう脚力をしてるんだ、あいつは。
「あ、あんた…大丈夫かい…?」
見ると、宿のおかみさんが、宿屋の床にうずくまった俺の横に立っていた。
どうにか痛みから立ち直った俺は、
「…あ~、うん、大丈夫。大丈夫じゃないと言いたいけど大丈夫だから」
と言った。
「大丈夫じゃないって自分で言っちゃってるじゃないか、一体何があったの?」
「え~っとだな、ちょっと怖い彼女に『最近ぜんぜんお金稼げてないじゃないの、どーゆーこった!』的なお叱りを受けてさ、きつーいお仕置きを喰らったってところさ。決して借金を背負ってるとか取立人に脅されてるとか、そーいう話じゃないからね?ご心配ありがとう」
おかみさんの目つきが、いぶかしげなものから、明確に呆れたものへと変わった。今の話を全部信じたわけじゃないだろうが、「どのみちロクなことじゃないらしい」と察したらしい。下手にレンジャーを呼ばれたりしたらたまったもんじゃないから、その方がありがたかった。
「私の知ったことじゃないからいいけど、うちに泊まってる間は、あんまり厄介ごとは持ち込まないでよ?」
とだけ言うと、おかみさんはカウンターに戻っていった。
「全く、冒険者ってのはバカばっかりだよ…」という独り言が聞こえた気がした。何も言い返せなかった。
そうして、もう何回目かもわからん恐怖の会見から解放され、半ば逃げ出すように部屋に戻った俺は、やはり何回目かもわからん「金策革命を起こす(くらい稼ぐ)」という決意を固めた。
「今に見てやがれあの野郎!いずれ必ず、俺が受けた屈辱、100万倍にして返してやる!」
そう、限りなく負け犬の遠吠えに近い独り言を呟いた俺は。
バカバカしいくらい、何もわかっていなかった。
(その0及び1・了)