忘れていた。この女にとって、俺は基本的に遊び道具に過ぎないんだ。
打ち解けたなんてとんでもない。この女は、俺がどうやっても逆らえないとわかってるから、ああもおちょくったことを言っているだけなんだ。
こめかみ辺りにチカラが入るのを感じつつ、俺は最後の負け惜しみを言った。あそこまで言われてて、脅し文句のひとつも言わないで引き下がれるか。
「…俺の前で、家族をダシにするようなことは二度と言うな。お前がどんだけ強かろうと、全身全霊でぶっ倒してやる」
「…いいねえ、男はそのくらい威勢がいい方が好みだよ」
借金取りがぱっと手を離すと、途端に開放感を感じた。思っていた以上にきつく締めていたらしい。
「女に抱き着かれた」という事実の割には、甘美さの欠片もない余韻を感じつつ、俺は借金取りをにらんだ。
気付いたら、周囲の客がみんなこっちを向いていた。さっきの謎の破裂音と俺の怒号が店中に響いたせいだろう。店長には悪いけど、釈明している余裕はない。
借金取りはズボンのポッケに両手を入れて、こちらを真っ直ぐ見た。例の底意地の悪そうな笑顔だった。
「あんたは弱い。しかもタチの悪い友人に騙されて借金をこさえるお人よしだ。おまけにバカにされたときに自制が効かない短気な阿呆だ。そこまで能が揃ってないなら、さぞかし世渡りは辛いだろう。誰かに利用されて捨てられるくらいなら、あたしがこうして使い回してやってるほうがまだ安全に生きられる。あんたは死ぬまで、あたしの狭い手のひらで遊んでいるのがお似合いだ」
「…」
「それが嫌なら、牙を磨け。知恵(おミソ)を研磨しろ。自分より強い奴に媚びへつらいつつ、のど元をかっ切る機会を狙え。それが出来れば、あんたは立派な闇稼業人だ。『地上最強の軍人』だって目じゃない」
「…俺はそんな風になるのが嫌なんだ」
「あっそ。じゃあ、勝手に野っぱらに倒れて死んじまえ…いや、どうせなら死ぬ前にひと花咲かせる気概を見せてみろよ。爆弾腹に巻き付けて、どっかの貴族ンちに突っ込んで果ててみたいって言うんなら、火薬貸すくらいの手は貸してやってもいいぜ?」
「馬鹿言うな!」
「ははっ」
と借金取りはからりと笑って、店の出口の方へ歩き出した。奴は体は向こうに向けたまま、首だけ回して
「それと、ご両親のこたあ心配しなくていいよ、流石のあたしも『地上最強の軍人』が輿入れした家に手を出す気概はない…まあ、今も強ければって話だけどね」
と言った。また血が頭に上ってきたが、どうにかこらえた。
「ッッッ…!」
「じゃ、この辺で帰るよ。ステーキありがと、約束通り勘定は頼むわ。あんたをからかえて、いい具合に気分良くなったわ」
そう言い残して、ようやく借金取りは店を出て行った。
***
借金取りが店を出て行った後も、俺は頭を冷やすために、しばらく席に座っていた。
まだ腹のあたりで怒気が渦巻いているのを感じる。
人前でぶち切れたのはいつ以来だろう。
本当に、古傷を割りばしか針で突き回すかのような嫌らしさだった。あんなにづけづけヒトの家庭問題にクチを出されるとは思ってなかった。
借金取りが言ったことは、概ね事実である。
俺は4年程前、そこそこ裕福な実家から家出した。別に大した理由があったわけではない。反抗期をこじらせて、小言を繰り返す母と大立ち回りした挙句に逃げ出したというだけの話である。
今思い出しても未だに腸煮えくり返るので、仔細を語るのは避けるが、まあ8割方俺のいい加減さ、2割方母の暴挙が原因のしょうもない喧嘩だった。
主原因がこちらにあるとはいえ、母にもまるで非が無いというわけではない。俺はまだそのときの出来事を許せる気分にもなってないし、しかもその母から勘当されている手前、こちらから謝りに行かず強情にふらふら歩き回った結果、4年もの歳月が過ぎた。
勘当の件にしたって、父や弟に聞けば「母さんのただのヒス(ヒステリー)」と答えるだろういい加減なものだから、帰ればあっさり許してもらえそうな感じもする。しかしそれを理由に実家に帰るのも、負けを認めるような気がして腹立たしい。男の沽券に関わる事態だ。一切を水に流して帰るには時期尚早だ。決して母が怖いというわけではない。
そういう事情はあるにはある。しかし、これは家族喧嘩の延長に過ぎない。狂言誘拐に手を出すほど恨んではいないし、第一そんな方法で借金を返しても誰にも顔向けが出来ない。自分含めてだ。どうしようもない愚の骨頂に頼るほど俺は落ちぶれてない。
(続き・http://hiroba.dqx.jp/sc/diary/127254852654/view/4695630/)