「…なんだ、君は今のままでも幸福だと思ってたのか。クチでは文句を言ったり私に敵愾心を抱いたりしようと、君は今の境遇そのものは嫌いではなかったんだ。始まりがウソであろうと、元々自分に劣等感を抱いていた君は、いつしかこの状況にすがりつくようになっていたんだね。
だったらやっぱり、ここらで別れた方がいいだろう。私が始めたことではあるけど、このままずるずると一緒にいたら、お互いのために良くない」
彼女はぐいっと、俺の胸を押し戻した。彼女の両肩をしっかりと掴んでいたはずの腕は、それだけで外れた。
不意に、裏路地に冷気が立ち込めた。暗がりの中から得体の知れないものが伸びてきて、俺に絡みついた。
愕然とする俺の目には、身体にまとわりつくそれが、青い筋がどくどくと脈打つ、気味の悪い煙のように見えた。
俺はすぐに立ち上がろうとしたが、身体にまとわりつく冷気が全身からチカラを奪っていく。
倒れ伏している俺を、メルトアはじっと見つめている。
「『マシラの舌』に捕まっている限り、『あいつ』の魔力探知で『数字の海』を探り当てることはできない。運が悪ければ、君は『舌』の奴隷となるが…今このガタラにはポポムが来てる。彼女なら妖怪の調伏は容易い。ポポムに会ったら、さっき渡した証書を見せるんだ。そうすれば君も『あいつ』と戦う戦場に呼ばれるだろう」
「…『あいつ』…って…一体誰のことなんだ…?」
「『呪術王』。君が殴り倒すべき、悪辣な賢者だ」
そう言った彼女は、地面に倒れた俺の頭を、青白く光る手で撫でた。
がぁんっ、と、精神を揺さぶるような衝撃が頭を駆け巡る。何か頭の中に巣くっていた異物を引っ張り出されたような感覚だった。
それが決定打だった。俺の意識は次第に薄れていく。
「記憶の蓋のカギを外しておいた。もう一回『精神操作呪文』を受ければ、『呪術王』に何をされたか思い出せるはずだ。『舌』に憑りつかれたら、今の会話も結局忘れるだろうけど、次に受ける『精神操作呪文』でまとめて思い出せるだろう。
二年前に取り出した四千九十六京桁の『数字の海』、そのうちの四桁だけ、君の中に残してある。それを狙って、遠からず『呪術王』が君の前に現れる。その前にポポムに会えれば、君の勝ちは確定だ。上手く立ち回ってくれ」
「時間だ」とつぶやく彼女は、後ろ手をひらひらと振りながら、俺を裏路地に残して去っていく。
呆然と見上げる俺は、「待ってくれ」と声をかけることもできなかった。
頭の中を支配する冷気は、ヒトならざる声で俺に問いかけてきた。
――お前の一番知りたいことは、なんだ?
***
――記憶は更に遡る。
この時の俺は、両腕を縄で縛られ、前を歩くオーガに連行されていた。
場所は…わからない。赤い岩でできた廊下をひたすら地下に潜っていく。直前まで目隠しされて連れてこられたため、どこの施設なのかわからなかった。
顔も身体も殴られすぎて、逆に痛みがない箇所を探すのが困難なほどだった。オーガやウェディの男五、六人に袋叩きにされたためだ。
なぜこんな状況になったのかも、上手く思い出せない。
俺の後ろに続く十人程度の色々な種族の男たちも、俺と似たような有様だった。あまりガラの良くなさそうな身なりをしており、オーガやウェディなどはかなり屈強な奴もいた。そんな奴が俺同様にボロボロにされている。
なんだ、この記憶は。裏クエストでもこんな目にあった覚えはない。一体いつのことを思い出している?
奴隷の行進と形容すべき一行は、やがてひとつの部屋に到着する。
土と赤い岩だけかと思われた施設の中で、その部屋は鉄で覆われていた。壁際にはびっしりと、見たこともない種類の神カラクリで埋め尽くされ、一番奥のスペースには…なんだろう、とても薄い水晶でできた大きな板が置かれていた。その表面はわずかに曲線となっており、表面には大小様々な文字が浮かんでいた。
その大板の前に二人、ヒトが居た。
(続き・https://hiroba.dqx.jp/sc/diary/127254852654/view/7171663/)