――ベリルという男は、ヒトを動かすのが得意な男だった。モリナラ大森林の奥深くに巣くう野盗たちをまとめ上げ、近隣の村々を襲って私腹を肥やすばかりか、集めた財をエルトナ大陸の裏社会に溶け込むために使い、着々とチカラを付けていった。
乾と出会ったベリルは、金の卵を見つけたとばかりに、その魔法のチカラを使って様々な事業を立ち上げた。例えば、単純な薬剤調合では発見できなかった、特殊な麻薬を乾に作らせ、それらを乾以外の薬剤師に研究させ、ジェネリック品の大量生産体制を作らせた。またあるときは、乾の呪文によって魔物を作らせて、闇商人たちに高値で売りつけた。乾が持つ呪文の数々を使って、ベリルは次々と大金を稼ぐプロジェクトを成功させた。
そしてそれらの事業の立役者として、乾を内外に喧伝した。伝説の魔法使いの再来――『呪術王・カワキ』という乾の二つ名は、元はベリルの考案だったのだ。
裏社会で考え得るありとあらゆる商売を成功させたベリルは、法に触れるという点を無視すれば、非常に有能な商人であった。
乾は、ベリルからの依頼を淡々とこなしていった。 アストルティアでの生活が続くにつれて、自身の異常性が視界だけに収まらないことに気付いていった。腹が減らない。喉が渇かない。眠くならない。飲まず食わずの生活を一週間続けて、死なない。
アストルティアに転生した際、自分は化け物となったのではないか――そんな考えに囚われるのも怖くて、目の前の仕事に没頭した。
胸の内の虚無は広がっていく一方だった。
そんなとき、乾にとっての二度目の転機が訪れる。 珍しく研究所を離れ、なんとなく入った裏路地で、女が倒れていた。ウェディとかいう、半魚人のような種族の女だ。
その女は顔を焼かれていた。激痛による苦悶の声も絞りつくした後なのか、ごく浅い呼吸を繰り返して、地面に倒れ伏していた。
なんの関係もない女だが、乾にも辛うじて、死にかけているヒトを連れ帰るだけの良心があった。
自身の研究所に女を連れ帰った後、回復呪文を二、三個唱えた。ケロイド化していた女の顔は、たったそれだけで元通りの顔立ちに戻った。
回復した女は、乾に礼を言うよりも早く、激高して暴れまわった。意味を持った罵倒の言葉もそう多くなく、乾には理解できない憤怒を募らせて、医務室の調度品を衝動のままに壊して回った。乾は女を止めるでもなく、無感動に観察し続けた。
日も暮れた頃、ようやく女は落ち着いた。落ち着いたはいいが、今度はさめざめと泣き出し、聞いてもいないのに「なぜ自分がこんな目に遭ったのか」ということを話し出した。乾は内心うんざりしていたが、辛抱強く女の話を聞いた。現実逃避のために研究に打ち込んでいるのも少々疲れてきた。見も知らぬ女の身の上話に付き合うことになっても、気分転換ができればなんでもよかったのだ。
その女は、名をメルトア・マリアドーテルと言った。しがない結婚詐欺師である。
顔にひどいやけどを負っていたのも、要約すれば詐欺の失敗が原因である。籠絡して金をせしめようとした相手が質の悪い野盗の類であり、金を持って逃げようとした矢先に勘づかれ、愛情の裏返しとばかりにメルトアを暴行し、顔に松明を押し付けたのである。
自業自得だ、と乾は思った。そう思ったはずなのだが、再びその野盗の元に乗り込むと言い出し、研究所を飛び出したメルトアを放っておかず、後を追いかけたのはどういうつもりだったのか。乾にも上手く説明できない。危なっかしい女性を放っておけなかったのか、あるいは単に一目惚れしてしまっていたのか。全ては遥か昔に廃れた感情だ。
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