野盗の宴席に正面から乗り込んだメルトアは、懐にしまったナイフを、件の野盗に突き刺そうとした。寝入りばなを襲えばまだしも良かったのだが、残念ながら野盗は普通に起きており、酔いも浅かった。当時のメルトアには策を考える知恵も、気持ちの余裕もなかった。メルトアを難なく組み伏せた野盗は、今度こそメルトアにとどめを刺そうとした。
乾が現場に到着したのは、ちょうどそんな状況だった。反射的に、乾はヒャド<氷針呪文>を野盗に向かって放った。氷の刃は野盗のこめかみに突き刺さり、野盗の命をあっけなく奪った。
アストルティアに来て初めて、乾は童貞を捨てた。あれだけ生物に触れるのを怖がったくせに、乾は自分が思ったほど動じていないのを感じた。
いざヒトの命を奪ったときに、自分が『動じない』人間であるとわかることをこそ、乾は恐れていたのである。
冷静な心に反し、指先は震えている。
嫌な汗が噴き出し、その場に立ちつくすことしかできなかった乾に、メルトアが近づいた。そして、乾の身体を抱き寄せると、『ありがとう』と、助けてくれた礼を言った。
三十分もの間、二人はただ抱き合った。
そのとき、乾の胸にひとつの願いが生まれた。
『この女性に、美しいものを見せたい』
乾にとって、アストルティアのあらゆる金銀財宝も宝石も、ポリゴンで作られた張りぼてである。メルトアに贈るほどの価値があるとは思えない。では、『美しいもの』とはなんだろう?
脳裏に浮かんだのは、自分の故郷の星、地球。宇宙にひとつと言われた水の惑星であれば、アストルティアが色あせるほどの『美しいもの』と言えるだろう。 その考えが、乾にとってはしっくりときた。自分に与えられた才は、アストルティアを喰いつぶし、地球をこの大地へ呼び寄せるためにあったのだ、と。本気でそう思った。
研究所に帰った乾は、メルトアに正直にそんな夢を打ち明けた。メルトアは本気にしなかったのだろう、笑って応援した。
目的のない魔法使いが、自らの指針を見つけた瞬間だった。
このような馴れ初めを経た乾とメルトアは、ごく普通の男女が得る『愛』らしきものを育んだ。それは胸に虚無をはらんだ青年にとって、この世界で前向きに生きようと思える原動力となった。
八年後、裏社会において悪行を尽くした乾は、メルトアの死と共に、再び胸に孔を抱えることになる。
――乾、ベリル、メルトア。
ヒトとヒトの出会いを奇跡と呼ぶならば、彼らの邂逅は、ラフレシアの如き腐臭を放つ奇跡だった。
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