***
――〇月×日 土曜日 朝十二時二十分。
(強い。強すぎる)
というシンプルな言葉が、呪術王の脳裏から離れなかった。
オールドレンドア島の地下に築いたアジト。自身が設計図を引いて生産した数々の魔道具。アストルティア中を巡って集めた魔物、あるいは呪文で生んだ魔物の群れが数百体。
呪術王の胎内(ホームグラウンド)と言うべき空間で、呪術王は防戦一方の戦いを強いられていた。
『借金取りのメルトア』と呼ばれた人物――それが変貌した影の如き女は、対立した魔物を瞬く間に殲滅していった。
あるバトルレックスは、斧を振り上げる前に胸を炎の矢で打ち抜かれ、立ったまま絶命した。
あるレッドオーガは、いつの間にか身体に巻き付いた呪文の糸で締め上げられた。その剛力で抵抗してすら糸は緩みもせず、その肉体をぼろ雑巾のようにねじ切られた。
あるネクロバルサの群れは、足が凍り付き、身動きが取れないまま巨大な氷塊に押しつぶされた。
『仕込み前』のジェリーマンに至っては戦いにすらならぬ。女が接近したそばから弾けて死ぬ。
アジト内に配備した精強な魔物たちが、ものの数秒で溶けるように息絶えていく。死神と相対しているようだと、呪術王は思った。
隙を突いて、『突撃号令』と『集合号令』の魔道具を起動することはできた。外海に住む野良の魔物をこのアジトに集結させ、この影の人物にぶつければ…と考えたが、あまりに時間が足りない。このままでは、増援が来る前にアジトの魔物が全滅する。
<拡張>したルーラ<転移呪文>を使って、呪術王はアジト内を撤退していく。
呪術王のアジトは、ダンジョンゴーレムとは別の素材で作られている――それ故、地上を大混乱に陥らせたレンガの氾濫のただ中にあって、アジトはなおも形を保っていた。
ルーラ<転移呪文>の<拡張>を解けば、アジトそのものから脱出することはできるが、『あれ』を置いたまま離脱できない。だからこそ、こうしてアジトの中を逃げ回っている。
そもそも、呪術王は初手で致命的なダメージを強いられた。呪術王が腰に下げていた魔道具――ダンジョンゴーレムの核を、影の如き女と相対した瞬間に破壊されたのである。
ダンジョンゴーレムの核とは、すなわち数千の生きたレンガを統括し、呪術王の意のままに操る操作盤。それが突如破壊されたことで、個々のレンガたちがパニックを起こし、暴走した。現在のダンジョンゴーレムは、呪術王にすら制御不能の状態に陥っている。
予備として生成していた操作盤は、このアジトの別の研究室に置いてある。それを起動できれば、ダンジョンゴーレムを再び制御下に置くことはできる。
できるが、それはこの女を振り切ることができたらの話である。ルーラ<転移呪文>で幾度も姿を消しているのに、ピッタリと呪術王の後を追跡してくる女を見ながら、呪術王は歯嚙みした。
突如、ボッという短い爆発音とともに、呪術王の逃走経路が爆破された。横から吹き付ける爆風によって、呪術王の身体は壁に叩きつけられた。
「ぐっ…」といううめき声が漏れ、呪術王の足が止まる。
女は、その隙を逃さなかった。猛烈な速度で呪術王にタックルを仕掛け、その身体を更に数メートル吹っ飛ばすと、勢いのまま地面に組み伏せた。
姿形の定まらない影――その顔面らしき部分に、一瞬、呪術王は相手の目を見たような気がした。金の瞳に、機械のような冷徹さが漂う…
影が鉄槌を振り下ろしたことで、呪術王の視界は遮られる。ごごぉんっっっ、という轟音とともに地面が砕け散る。
呪術王の顔面と、振り下ろした影の拳の間に激しく火花が散った。金属同士の衝突と見紛う破壊力。これほどの攻撃をもってしても、スクラクスト<過剰防壁呪文>による防御は貫けない――が、そもそも尋常の生物が重機じみた打撃を放つ方がはるかに異常だ。ぞぶり、と、呪術王の背中に悪寒が走る。
・続き:
https://hiroba.dqx.jp/sc/diary/127254852654/view/7566768/