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結論から言って、二度目の動くレンガ上での行軍は、そう混乱なく終わった。
当初の俺は、動くレンガたちが要塞のような巨大建築を築くのを警戒したのだが、実際に構築されたのは巨大建築などではなく――ごく普通の、レンガ造りの町だった。
一戸建ての住宅が並び、動線にはレンガ造りの散歩道が敷かれる。裏路地があり、広場がある。たまに職人ギルドのような大型の建物がある。ジュレットとグレン城下町を足して二で割ったような、普通の町並み。
これは後日、呪術王に巨大建築を築くほどの余力がなく、動くレンガに自発的に作らせた構造物だったとわかるのだが、もちろんそんな事情は当時の俺たちのあずかり知ることではない。面倒なダンジョン攻略をするよか断然いいし、重傷を押して移動する怪盗もどきにこれ以上の負担はかけられない。建物の影に身を隠しながら、慎重に移動していった。
――〇月×日 土曜日 昼十三時半。
じりじりと移動を続ける最中、ついに俺たちは、彼らを見つけた。
はじめは、ぼごぉんっという大きな音。
音を聞きつけ、路地裏の物陰から外を見ると、その音の出処がわかった。
そこは半径十メートルほどの広場で、中央には枯れた噴水だったらしい、瓦礫の山があった。
激しく陥没したレンガ造りのクレーターの真ん中に、『黒い影』がいた。影というより、黒煙がヒトの形をとったような何者かが、仰向けに倒れていた。
チカラなく倒れるその影の姿から、モクモクと煙が晴れていく。煙がはがれ切ったその場所に――ウェディの女が現れた。
黒煙のようなジャケットとパンツ姿は血に濡れ、顔面はぐしゃぐしゃにつぶれていた。元の容貌もわからない有り様ながら、俺はそのオレンジ色の耳から目が離せなかった。
それは、間違いなくメルトアの姿だった。
俺は声にならない、悲鳴とも嘆息ともつかない何かを吐いて、路地裏から飛び出そうとした――が、すんでのところで思いとどまった。
裏クエストをこなす中で身についたカンが、俺史上最悪の危険信号を上げていた。すぐそばに、なにか、いる。
わずかに、本当にごくわずかに、頭を路地裏から広場側へ首を伸ばし、『それ』を視認した。
約四メートルもの巨躯を持ちながら、呼吸をほとんど感じられない。そのせいで、その存在に気づくのが遅れた。
遥か頭上に滞空する頭部は、鼻先に赤い一本角を生やし、長いマズルに白い牙の軍団を整列させている。背中から生える一対の翼は、広げれば晴天を余さず覆いつくしてしまうだろう。ウィングタイガーの胴ほどもある太い腕と、その図体全てをどっしりと支える両脚。数日前に見たカイザードラゴンとすら、比較にならないほどモノが違うとわかる。
濃い紫色のウロコをびっしりとまとうその姿から、ドラゴン系の魔物であることはわかったが――その姿形は全く見覚えがない。宿屋協会認可の魔物図鑑でも、昔語りの絵本でも見たことがない。
これほど荒々しい威容を持ちながら、さぞ大きかろう呼吸音の一つも聞こえない。あれで床に倒れていたら、生き物というより見事な彫像ではないかと勘違いしそうだ。
――まあ、実際のところ、そんな馬鹿な勘違いはするまい。
その巨躯を見た俺は、ある『幻覚』を見ていた。
天を支えるほどの巨大な竜巻を見た。地平線まで続く魔物の大軍勢を見た。地獄の業火に焼かれる魔物の大墓標を、見た。
全ては『それ』が内包する桁外れの魔力が見せる、本来一流の魔法使いでしか感じ取ることができないはずの、『夢』だった。
次元をまたぐほどの莫大な魔力は、ごく平凡な感性しか持たない俺のような一般人にすら、問答無用で幻覚を叩きつけた。赤子や老人が見れば発狂する者も出るかもしれない。
なんだ、こいつは。こんな化け物、夢物語でしか見たことがない。
見ているだけで冷や汗が止まらない。あんな規格外の怪物、戦いようがない。
あれが、メルトアを叩きのめした怪物。
世界壊滅を夢見た怪人の生み出した、悪夢の化身!!
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