俺は腰が抜けたまま、背後を振り返る。そこには、濃い紫色の巨壁があった。
呪術王の遣わした怪物、あのドラゴンが、邪悪な笑みで俺を見た。
笑っている。俺を追い回しているのは、多分大した意味はない。目の前にいた生き物で、ただなんとなく遊んでいるだけだ。それが一発で理解できる、底意地の悪い顔だった。
――あ、ちょっとちびった。
恐怖で身体がガチガチになりそうになったとき――
「総員、下がれ」
ドラゴンの正面に巨大な人影が立ちはだかった。たん、という軽い着地音は、その重量を微塵も感じさせない。
四メートル。ドラゴンに匹敵する赤黒い巨体が構え、ふ、と上半身で薙いだ。
ぶん、という風切り音と共に、巨体の影が、倍に伸びた。
ばっちぃぃぃん!!!と、ドラゴンの身体が吹き飛んだ。ずざざざざと、数メートルだけ後退する。
ドラゴンは驚いた表情で、真正面の巨人を睨んだ。
巨人の名はフィンゴル。今朝、対策チームの滞在する倉庫で見た、あの規格外のオーガが、ドラゴンの前に立ちはだかっていた。
右手には、とんでもなく長大な鉄の棒が握られていた。ただでもでかいフィンゴルの身長と、ほとんど変わらない長さ。形は六角棒に似ているが、見た目は明らかに鉄製。
直感する。これはヒトが振り回していいものではない。こんなものは武器じゃない。町のインテリアの類だ。というか、もはやガートラント城の柱だ!
「■■■■■■っ!!」
咆哮するドラゴンを真正面に据え、フィンゴルは金棒を大上段に構える。
ふぅぅぅ、と深く息を吸い、ドラゴンをくわっと見つめる。
ずどどどどどと、ドラゴンが突進する。
角を突き出し、フィンゴルを串刺しにしようと殺気立つドラゴンを、冷静に見据え――
ばちゅりっ、とドラゴンの頭が弾けた。
突進する勢いのまま、ドラゴンの身体が前方に昏倒した。ずどおおおおおんと、鈍重な音が地面を揺らした。
フィンゴルは、冷酷な目でドラゴンの遺骸を見下ろしている。
間合いに入った瞬間、フィンゴルは金棒を真っ直ぐ振り下ろした。頭蓋を正確に狙った一撃は、あっけなくドラゴンの命を奪ったのである。
――勝った、のか?あの怪物に?こんなあっさりと?
勝利の快哉ではなく、困惑が対策チームの面々を包む。見るものに幻覚を叩きつける規格外の怪物が、こんな簡単に倒せるのか?
困惑したのは俺も同じ。散々追い掛け回されたドラゴンの死体を、ただ見つめた。
そのとき、肉塊に変わったドラゴンから目を逸らさず、フィンゴルは叫んだ。
「ここは本官が受け持つ!!遊撃隊の任を果たせ、少年!!!」
高らかに告げた声が、硬直した俺の背筋を打った。
遊撃隊の任務。即ち、呪術王の捕縛。それはまだ、何も終わっていなかった。
ばっと立ち上がった俺は、フィンゴルに目で礼をして、再び走り出した。
フィンゴルは右目だけでこちらを見て、すぐ目線を下した。意図は伝わったようだ。
――今度こそ、邪魔はなくなった。今度こそ、今度こそ、だ。
***
「――保って三十分といったところか。あの少年のお手並み拝見だな」
サングラスの少年が走り去るまで、フィンゴルは目の前の敵から目を離さなかった。
――そう、『敵』。
戦闘は、まだ何も終わっていなかった。
ドラゴンだったものは、頭蓋のあった場所から血を流しながら、ゆっくりと立ち上がった。紫色の巨躯がブルブルと震えだし、その形は少しずつ変形していく。
頭を失ってさえ、その『怪物』は絶命していなかった――というより。
その『怪物』の命は、ひとつではなかった。
死を得てなお止まらない化け物。その身体は変身を経てより強靭に。死の際まで進化し続ける怪物。
神話に語られる魔王、魔神たちの特徴。アストルティア屈指の死線を潜り抜けてきたフィンゴルですら、初めて目にする現象である。
「ポポムの見立て通りである。これは本官の仕事だ」
右手に持つ規格外の金棒を握り直し、フィンゴルが構える。
「我、鬼の巨盾なり――いざ、参る」
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