「――あんたは、我が家の恥だ」
「その通りだ。俺はルマークの家名に泥を塗った恥知らずだ――けど、なっちまったもんはしょうがねえ。
生き方を間違ったなら、ヘマしたことをできる範囲で取り返していくしかねえ。それ以外にできることなんかありゃしねえんだ。
だから、今日は謝りに来た。俺が一番初めに迷惑をかけた母さん、父さんにだ」
「あたしたちより先に、謝る相手がいるでしょうが」
「そんなやつはいない。まず母さんたちが先だ。全部ちゃんと話す。だから、家に入らせちゃくれないか?」
「断る。あんたみたいな恥知らずに、ウチの敷居を跨がせてたまるか」
母は足を一歩踏み出し、臨戦態勢を取った。がり、と砂利を踏みしめた音が妙に高く響く。
深く腰を切った姿勢は、丸腰だろうと関係なく剣士の風格が漂っていた。
「その曲がった性根、素っ首ごと叩き斬ってやる」
眼光を怒りで染め上げ、母が鋭く吐き捨てた。
「気の済むようにやってくれ。俺も、押し通る」
不遜とも恥知らずとも取れる言葉を、俺は臆面もなく言った。
――それが、親子喧嘩の合図となった。
ふっと、母の巨体が揺れる。俺の目線より高い位置になった母の頭が、一瞬消えた。
呪文の類ではない。ごく自然な動作でその場にしゃがみこんだのだ。音もなく急激に体勢が変わったことに、俺は意表を突かれた。
母はそのまま、ごろんと前転して距離を詰め、俺のすぐ足元に付けた。左腰に添えた左手から抜き払うように、右手を跳ね上げた。風切り音が空と俺の脇腹をかすめた。
とっさに身を引いた俺は、右脇腹から左胸にかけての皮膚が、鈍い熱を帯びるのを感じた。
母の手がかすめた場所が、小刀で切ったように裂け、出血していた。大した出血量ではないが、一般人に過ぎない母に手傷を負わされたことに、俺はひどく驚いた。
間髪入れず、母は刀を返すように右手を振り下ろした。嫌な予感がした俺は、後方に大きくジャンプして距離を取る。
相対した母は、両手を正面に構え、左前の半身立ちでこちらを真っ直ぐ見据えていた。両の拳はゆるく握られ、右手を上にして二つ重ねられていた。
エルトナ大陸式の剣道で、正眼の構えと呼ばれるものだ。空にある切っ先が、俺の眉間に突き刺さっているのを感じる。
それは不可視の剣だとか、決して特別な武器や技能ではないことは既にわかっていた。母はあくまで、単に『刀を握るポーズ』を取っているだけだ。
母は丸腰だとわかっているのに、俺は『見えない剣』が自分に向けられているのをピリピリと感じた。
母は刀を握ってないだけで、刀を握っているときと全く同じ姿勢を取っているのだ。それ故、対戦者は存在しない刀がそこにあるかのように錯覚する。それだけ、非常に綺麗な構えだった。
『剣』という概念を知っていれば、誰でも感じ取れる幻。一種のフェイントの究極形である。
ざっと砂を蹴り、母が前進する。右手の親指を前に突き出し、俺のみぞおちを強打した。
口から「ぶッ……」という汚い呻きが漏れながら、上体を反らす。胸を滑って振り上げられた右拳が、俺の顎を掠る。わずかに生えていた顎髭ごと肉が浅く削れる。カミソリで切ったような鮮血が散った。
最初の居合斬りから始まり、袈裟斬り、胸を突き刺し、跳ね上げた刀で頭を切り裂く。どれも実在する殺人刀の技だ。
本当に刀を握っていたら、四回死んでる――いや、オーガの膂力なら、本来は素手でも人体を切り裂けるんだろう。相手が俺でなければ。
これが『剣神』に認定された腕。剣士の最高峰。とんでもない母ちゃんだ。
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