あの戦場において、店主は俺に監視役を付けていた――おぼろ忍群の頭領、主零(シュレイ)。覆面を被っていたため顔はわからなかったのだが、目元から初老のエルフだと思われた。そして、店主の関係者には似たような初老のエルフがもう一人いる……となると、同一人物の可能性を疑いたくなる。
「ミカヅチさんが主零か」
俺の剣呑な視線を受け、店主は今さら隠す必要はないでしょ、というかのように肩をすくめた。
ゴズ渓谷において、俺の目の前で『いやしの雪中花』をかっぱらった白ニンジャ。裏クエスト屋の従業員、ミカヅチ。そしておぼろ忍群頭領、主零。それらは全て、同一人物であるということがわかったわけだ。俺は、裏クエスト失敗の原因を作った張本人を目の前にして、むざむざ談笑していたのである。
俺は何度目かわからない不快感を、店主に抱いた。隠し事が多すぎるぞ、このおっさん。
睨む俺を前にしても、店主はどこ吹く風といった表情だった。そんなことはどうでもいいというかのように、店主が会話を再開する。
「で、今日は何の用?ぶっちゃけ今忙しいんだけど」
「退職願いをしにきた」
俺は懐から封筒を取り出し、店主の座るカウンターにペシと叩きつけた。封筒には墨字で『退職願』と丁寧に書きつけてある。
それこそ、俺は金輪際裏クエストとは関わらないという決意表明であった。
封筒を一瞥した店主は、「ふひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」と大笑いした。
「いやー、ほんとに几帳面だな君は!!裏社会の仕事でご丁寧に退職届を出す奴が今日日いるものかよ!!」
「裏の仕事を書類契約させたがるあんたが言うかよ。こういうのをキッチリ出しておかなきゃ、後でどんな言いがかりをつけてくるかわかんないだろ」
「ふふん、僕が退職を許可しないとは思わなかったの?こういうのは何も言わずにフケるのが普通だよ」
「――まあ、業腹だが、世話になったのは事実だし。筋は通したかった」
「ぶははははは!!!」
店主は腹を抱えて笑った。笑い死にしそうな勢いで呵々大笑する店主に、傍らに控えるエルフはひどく困惑している様子だった。俺もここまで清々しく笑う店主は見たことがない。
白い目で見られているのに気づいたのか、店主はようやく落ち着いて口を開いた。
「はー……ほんとに、妙なとこで予想を裏切ってくれるな、用心棒くん。まさか君からそんな殊勝なことを聞かされるとは思わなかった。
ま、退職届なんてなくても、今後裏クエストを依頼する気なんか更々なかったんだけどね」
「――この部屋に入ったときから気になってたんだけど」
俺は妙に整理された酒場風の部屋を見回した。片付けられた酒や書類の数々。脇に寄せられたテーブルや椅子。
それはまるで、裏クエスト屋の店仕舞いを思わせる光景だった。
「おっさん、夜逃げでもすんの?」
「夜逃げじゃないけど、まあ推測は当たっているかな。裏クエスト屋は、今日からしばらく店仕舞いだ」
長年のご愛顧ありがとうございました、と店主は芝居がかったようにお辞儀した。ご愛顧なんかしてない。
再び顔を上げた店主は、天井を指さして言った。
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