「それはそのまま、キリンの話にも当てはまる。僕もエレンも、あの女の全てを知っているわけじゃない。街談機関の言を借りたところで、どこまで本当でどこまで嘘なのかわかったものではない。君に教えたのは、あくまで僕が僕の主観の元集めた情報の、ひとつの解釈だ。これを鵜呑みにはせず、ジャックなりに考えてほしい。
彼女の抱える闇が何か、光が何かは、君が直接会って問いただしてきなさい。それが、今後の君の人生を舵取りする判断材料になることを願っている」
ケチャはジャックの肩をポンと叩いた。あまり気負うな、と、深刻そうな表情を浮かべるジャックを諭した。
ふと、ケチャは思い出したように付け加えた。
「――ああ、キリンの居場所については、噂ではなく間違いない情報だと保障するよ。情報通の後輩を締め上げて得られた、信頼できる情報だ。そこを訪れるタイミングは君に任せよう」
父はぐいっと、誰かの胸倉を掴むジェスチャーをした。自分の父親が思ったより直情的な性格であることを、ジャックは最近になって知った。ここぞというときの思い切りの良さは母以上かもしれない。
父の言う後輩とは、ひょっとしてオーガなんじゃないか……という質問をぐっと堪えて、ジャックは答えた。
「わかった。父さんは来ないんだよな?」
「行かない。体力的にきついし、僕が行ったところで話がこじれるだけだろう」
ケチャは下唇を噛んで、苦い顔をした。話をこじらすのはキリンか、あるいは自分か。ジャックの件はケチャにとって、割り切れない激情が消化できるほど時間が経っていなかった。
ケチャは目を伏せて、息子に頭を下げた。
「僕たちの友人のことで面倒をかけるのが申し訳ない――どうか奴を、頼む」
***
そして再び、ジャックが旅立つ日が来た。
今にも雨を降らしそうな雲が空を覆ったその日、玄関先で見送るのは母一人だけだった。父は既に働きに出ている。
ジャックは口をへの字に結び、草履に足を通すと、母に向き直った。腕組みをした母は、いつもの仏頂面を浮かべている。
「じゃ、行って参る。また近くを通ったら泊まりにくるわ」
ジャックは努めてさらっと言った。遥かレンダーシアまでの長い旅路であるということを微塵も感じさせない気楽さだ。
母は何も言わず、代わりにジャックの頭を何か筒のようなものでコツンッと小突いた。
母らしくないイタズラにむっとしたが、ジャックは黙ってそれを受け取った。木製の筒をひび割れた鮫皮で覆っている代物――剣の柄であった。色褪せた装飾から相当な年代物であるとわかった。
「昔、あたしが使ってた刀の柄。持っていって。お守りにしてもいいし、刃を用意すりゃ今でも使えるでしょ」
「いいのか?俺に預けたら、どこで失くすかわかったもんじゃねえぞ」
「あたし、得物に執着するクチじゃないの。あたしじゃもう使いようがないし、タンスの肥やしにするよりは、使って壊した方が本望だ」
なぜか胸を張って、結構薄情なことを言う母。ジャックの訝しげな視線を気にせず、母は続けた。
「スルワラに会いにいくんだろ?」
「……ッ」
母に図星を突かれ、ジャックは目を逸らした。バツが悪そうに口をつぐむジャックだったが、母はそれ以上追及しなかった。
「ケチャもあんたも、最後まで口を割らなかったけど、そんくらいのことはあたしも検討つく。よっぽど面倒な縁が結ばれたみたいね。
今日のとこは勘弁してやるから、今度帰ってきたらちゃんと話しな」
それだけ言うと、ジャックの返答を聞く前に母は玄関の扉を開けて、さっさと引っ込んでしまった。
もっと聞きたいことはあったはずだが、ジャックを引き留めてはいけないと思って、決心が鈍る前に身を引いたのだろう。
自分に対する母の信頼に感じ入ったジャックは、誰もいない玄関先で深々と一礼した後、静かに歩き出した。
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