その答えに満足しなかったのは、キリンも同じだった。竜の顔を悲しそうに歪めながら、ジャックの身体を強引に引き起こした。
「そうじゃない、そう言ってほしいんじゃないんだ……もう、放っておいてほしいんだよ。
君と一緒にいたら、わたしは今以上の怪物になる確信があるんだ。こんな感情、わたしが持っちゃいけなかったんだ。
こんなものを引きずっていては、周りの面々を殺しかねない……そんな激しいものが、わたしの身の内にある」
虚ろな目をしたままジャックを引きずり、背後の大木にドンッと押し付けた。
ジャックの左手を自分の手で大木に縫い付け、互いの顔面が触れ合う寸前まで近づける。
「誰にも話していないことを、話してあげる。碑にも書かなかった、わたしの核だ」
ジャックとキリンの吐息だけが混ざる、二人だけの空間の中で、キリンは禁忌を話し出した。血を吐き出しているとキリンが錯覚するような、呪いの言葉だ。
「わたしは確かに、タリューに恋をしていた。それを、タリューにも伝えたことはあった――けど、彼は応えてくれなかったよ。若い君と、人生の斜陽に入った自分とは釣り合わない。もっと相応しい相手を探せ……ってさ。
あの日のわたしは小娘だったからさ、仕方ないよ、仕方ない話なんだよ、それはわかってた。けどさあ、わたしは悲しくて、悲しくて悲しくて悲しくて、狂って狂って狂い咲くほど悲しくって、一日経っても、二週が過ぎても、ひと月が潰れても、わたしは狂ったままだった。
そんなときだったんだよ、タリューが死んだのは。この世で唯一、わたしの角も目も肌も恐れてくれなかった男が、二度とわたしの手に触れられないところに行ってしまった。わたしは彼に狂ったまま、それを解(ほど)く機会を失った。
そうなったらもう、なんにもわかんなくなってた――気づいたら、わたしはタリューの墓を暴いて、彼の小指の骨を、喰ってた」
絞り出すような言葉だったが、キリンに取り乱した様子はない。この忌まわしい記憶で流す涙など、とうの昔に枯れ果てた。
それは、キリンの禁忌のひとつだった――自分が激したとき、これほどまでに狂えるのだという恐怖。
「生まれてからずっと、わたしは何者なのか悩んでいたけど、もう答えは出た。なんてことはなかった、ただの竜だったんだ、わたしは」
あの事件から二十数年、向き合えても、乗り越えてもいない記憶。だが、ヒトに話したときの、その『呪い』の強さは理解している。
呪いにも等しい告白を受けたジャックの目は、色を失っていた。全身が鳥肌立ち、足も手も小刻みに震えている。極度の緊張から来る浅い呼吸も、そもそも自分が恐怖していることも、今しばらく気付くことはない。彼の人生に比較するものがない、凄まじい衝撃だった。
この女は、助けるべきものではない。殺してでも止めるべき怪物だ。
心に降って湧いた言葉を、ジャックはこの後一生、後悔することになる。
血を吐くようなキリンの告白はなおも続いた。
「こんなどうしようもないもの、死んだ方がいい。だから、暗殺者という、死を取引する、恨みを買いやすい仕事を始めた。いずれ、誰かがわたしを野垂れ死にさせてくれるはずだから。
――けど、死ねなかった。こんなどうしようもないものを誰も殺せはしなかった。悪鬼も、妖剣士も、水竜も、呪術師も魔軍師も怪蟲も暴君も、冥王も、新しいオルドの小僧も、タリューと同じ世界から来た呪文使いも、どんな魔物も英雄も――わたし自身も。わたしの命には、届かなかったんだ」
そう告白するキリンは、自分への諦観に満ちていた。人生をかけて自分に問い続けたものが、なんと単純な幕引きを――
「だからさぁ……こんな、ヒトを食うしか能のない竜を、好きになってどうすんの――君は」
最後は、泣き笑うような顔だった。これもまた、ジャックの今までの人生で見たことのない、複雑な色だった。
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