「何か言ったか?」
ジャックは怪訝な顔で聞いたが、キリンは取り合わなかった。
「なんでもない。それより、帰りも登山して帰る気?」
「それしかないだろう」
「じゃあ、送ってあげる」
と、キリンが矢継ぎ早に言うと、ジャックと士獣の手を掴んだ。「オルゲン、夕方までに帰るわ」とぶっきらぼうに言うや、オルゲンの苦言もジャックの抗議も聞くことなく、オルゲン宅の玄関の扉に手をかけて、勢いよく開いた。
――扉を抜けると、そこは物置小屋だった。
竜族の寂れた村ではなく再び室内に出て、ジャックと士獣は面食らったが、キリンはどこ吹く風だった。後ろ手にバタンッと扉を閉めると、竜族の隠れ里の気配は完全に立ち消えた。
パッパッと手を払うキリンは、ふすと鼻息を吐くと、ジャックと士獣を小屋の奥に連れていった。
小屋には陽光が差し込む窓と、木製のテーブルとイス数個が配置されている。ジャックは遅ればせながら、ここがかつてキリンに招かれて訪れた、魔女謹製の『妖精郷』だと気付いた。
ほんの数歩で小屋の反対側にたどり着いたキリンは、再び扉を開いた。その先は、見慣れた石畳のホールだった。
「ほい、レンドア駅到着」
なんでもないように言い放つキリンに、ジャックはドン引きした。目元をしかめる士獣も動揺、もとい同様と思われる。
こんな雑なやり方で行き来できるのか、とジャックは空恐ろしくなったが、キリンのやることだから仕方ないと諦めた。
「じゃあ、士獣ちゃん。悪いけど先に行っててもらえる?」
キリンはぶっきらぼうに言った。雑にも程があるとジャックは思ったが、士獣は何も言わずコクリと頷いて、レンドア駅につながる扉をくぐった。事前に相談してあったのかもしれない。
忍者が去った後、ジャックがくぐる前に、キリンは扉を閉めた。そして、ジャックの顔をじっと見つめた。
恐らく、この扉はキリンでないと開くことができないと察したジャックは、はあ、とため息を吐いた。別にこんなことをしなくても、今さら逃げはしないのに。
無言の時間が続いた。ジャックとキリンはお互いに、睨むともなく曖昧な視線で見つめ合った。それは、ひどいことを言われた恨みでも、殺し合いをした責めでもない、ごく普通の、生温い視線だった。
今さら言葉を継ぐ必要なんてないが、名残惜しさが二人の背を引き留めた。
「昨日のことは、誰にも言わない。二人だけの秘密だ」
ジャックはそう誓った。『キリン』の弱点を社会に広めないという以上に、この記憶を独り占めしたいという欲だった。呪いも、闇も含めてだ。
キリンは、無言でジャックを抱き寄せて、右耳をがぶりと噛んだ。ジャックは「何すんだ!!」と即座に突き放したが、右耳についた歯形からはうっすら血が流れていた。
キリンは血の付いた犬歯をぺろりと舐めながら、
「これでおあいこね。昨日押し倒した仕返し」
と、得意気に言った。
「……痕になんねえよな、これ?」
「さあ?なったところで、いい女よけになるんじゃない?」
「冗談じゃねえよ!?俺まだ彼女いたことすらねえよ!!」
「いいじゃないの、この程度。彼女作るくらい大目に見るけど、あんまり調子乗ってると食うよ」
真顔で言うキリンに、ジャックは震えた。なんという惨事。しかも今となっては冗談にも聞こえない。
「あー……お互い、ろくな死に方しそうにねえな」
「そうね。だから、こういうことは時々くらいにしておきましょう」
「同感だ。身が持たねえな」
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