「なっ……。――なんですって…? セラ、…セラ――――」
「そう、それが私たちの失った、かつての妹の名よ。私が毎日、名の知れぬ血族に祈りを捧げていたのは、知っていたでしょう?」
「え、え…、知って、いたわ………でも、まさか、思い出して、再びその名を口にする日がこようとは、全く、私――」
「ああ、かわいそうなまおん……。私も同じ気持ちよ、落ち着いて。取り乱しては駄目よ」
「……アーミラ、私たち、記憶を」
「ええ…そう。”あの方”に記憶を封じられていたのだわ。未だに名以外のことは思い出せない。でも、大事なことはそこではないのよ」
「…そうね。重要なポイントは、そのセラにあなたが襲われたってこと――」
ひょこ。
ここは魔界宮殿。双角の姫主、アーミラとまおんの居城であり、記憶を封じられた少年サキアと、まだまだ逃げ出す気満々の少女雪の、現在の家でもある。
今、まさにその安寧の日々が侵されそうになり、姫主が思案に暮れていたのだ。
そんな二人の様子を柱からうかがうのは、最近ちょっと姫主のことを好きになり始めていて複雑な雪である。
「うーん…」
「雪…なにか、聞こえた?」
「いーや、全然っ!」
この宮殿は随分と広い。おかげで二人のかくれんぼは順調で、もちろん盗聴、秘密、謀り事も十分にできる。
「でも、まおんもアーミラも、強いから…。きっと何かあっても、大丈夫だよ」
言っているそばから不安そうな表情を浮かべるが、これは記憶に欠け、少々精神年齢が後退したためであり、いつものことだ。
「ま、そーだよねー」
「…ときにサキア君。」
「うん?」
「これは、チャンス…だよね?」
二人は顔を見合わせて、にっこりと笑った。声を大きくしないように、抑えて明るい声を出す。
「「『姫主さまたちの慰労パーティー』!!」」
この二人が、少し前から考えていたサプライズである。
元々彼らは、姫主たちが退屈しないための遊び相手としてひきとめられて…もとい、強制永住させられているのだ。日々の精神的くつろぎとして、役に立っているのは言うまでもあるまい。
だからといって仕事がないわけではない。
この辺境の広大な領地を一任されているのだから、仕事は大量にあるはずなのだ。
二人はそんなアーミラとまおんを労わるため、ささやかな宴会を開こうとしていた。
「じゃあ、使い魔さんたちにも協力してもらって、準備、しよう…?」
「そだねっ、サキア!」
(…ってのはもちろん口実)
雪は内心ほくそ笑む。
(買い出しに行くと偽って、遠くの町まで行ったら、そのまま逃げだしてやるんだから!)
ここに来てから――。ふた月、み月、もしかしたらもっと経ったかもしれない。アーミラが復活してからはだいぶ経ったように思う。
これはかなり前から温め続けてきた逃走計画だったが、いざ決行を前にして、決意がにぶっているのを、雪は感じていた。
(…ひるんじゃダメだ。私は、家族のところに帰るんだから――)
家族。
近親相姦の末の出産。離婚。再婚。旦那の陰湿な、義理の娘へのいじめを見逃して。毎日娯楽にふけり。
これが実の母のすべて。
――果てには受験に落っこちて、魔界なんかに来ちゃって
家族。
いつでも一緒にいて、寂しいといえば一緒に寝て、ご飯を一緒に食べて。偉いわ、と頭をなでてくれて。ありがとう、と抱きしめてくれて。
家族。
(私の、家族、は――)
雪はハッとして、頭を振った。
「…魔界なんて、ダメに決まってる。早く帰んないと」
カゾクの、元に。
カツン、カツン――
カツン、カ ツ ン ――――――――――――――