第五話 抗えない温もり
夜更け。
囲炉裏の火が細く揺れ、家の中に柔らかな影を落としていた。
布団に入ったティナが、半分眠りに落ちそうな声で囁く。
「ねえ……お兄ちゃん」
「ん?」
「夢を見たの。光る斧を振って、いっぱいの魔物を追い払う人の夢」
リクは思わず息をのむ。
ティナは目を輝かせながら続けた。
「その人ね、すっごく強くて、すっごく優しくて……なんだか、お兄ちゃんに似てた」
胸の奥に鋭い痛みが走る。
村が無惨に焼かれ、命を落としたティナの姿が、鮮烈に蘇る。
「……そうか」
絞り出すように答え、リクはティナの髪をそっと撫でた。
震えそうになる指先を、必死に抑えながら。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだい?」
「私ね……お兄ちゃんがいるだけで安心なんだ。だから……どこにも行かないでね」
その言葉は甘えるように優しく、けれど刃のようにリクの胸を抉った。
「……ああ。ずっと一緒にいるよ」
叶わぬ約束と知りながら、リクはそう答えるしかなかった。
ティナは安堵したように微笑み、リクの腕に小さな体を預ける。
「えへへ……お兄ちゃんは、私の光の戦士だから」
やがて彼女は静かな寝息を立て始める。
リクは涙をこらえきれず、眠る妹を抱きしめた。
こんな日々が、どうして守れなかったのか――その悔恨だけが、彼を押し潰していった。
***
リクは一晩中、ティナの寝顔を見守っていた。小さな胸が規則正しく上下するたびに、胸の奥に温かいものと、言いようのない恐怖とが入り混じる。
幻かもしれないと頭のどこかで理解しても、妹の体温だけはどうしても否定できなかった。
二度と失いたくない――その願いが、彼を縛りつける。
翌朝、まだ陽が昇りきらぬ頃。リクはそっと立ち上がり、ティナを起こさぬように足音を殺して家を出た。村はまだ朝霧に包まれており、空気は冷たい。
彼が向かったのは村の奥にある小さな祭壇だった。 そこには一本の古びた斧が祀られている。
かつて「閃光の斧」と呼ばれたそれは、もはや輝きを失い、刃は錆びつき、柄も朽ちかけていた。
リクは祭壇の前に立ち尽くし、拳を強く握った。
――この村を襲うかもしれない未来。
――無惨に命を奪われたティナの姿。
「……避けられないのか」
呟いた声はかすれ、霧の中に消えていく。
そのときだった。村の入り口のほうから、何やら騒がしい声が響いてきた。
リクは反射的に物陰へ身を潜め、目をやる。
そこには、一人の女性が立っていた。
長く艶やかな黒髪、凛とした気配を漂わせた美しい姿。
村人たちと穏やかに言葉を交わすその横顔だけが、霧に揺らめかず鮮明で、まるで別の世界から切り取られたかのように見えた。
「……セリア……!」
見間違えるはずもない。彼の仲間、共に戦っているはずの少女が、そこにいた。
しかし同時に、リクは理解した。
セリアの出現は、この「平穏」が終わりを告げる兆しにほかならないということを。
胸の奥に走るざわめきと共に、リクは息を呑んだ。 もう、時間の猶予は残されていない――それでも、眠る妹の笑顔が脳裏に焼き付き、足はその場から動けなかった。