第八話 決別
村のはずれ、夕暮れの中で――
セリアはリクを見つめていた。
穏やかな風が吹き、遠くで子供達の笑い声が響く。 けれど、この世界の空気には、どこか“止まった時間”の匂いがあった。
「……セリア?」
リクの瞳が驚きと混乱に揺れる。
彼の背には、小さな妹――ティナが寄り添っている
その姿に、セリアの胸は締め付けられる。
「リク。落ち着いて聞いて」
セリアは一歩、彼に近づいた。
「ここは……時の狭間。
ハーゼルの禁術《時幻牢(じげんろう)》によって、あなたの魂が飛ばされた“あり得たかもしれない過去の世界”よ」
リクは息を呑む。
理解が追いつかない。
いや、理解したくなかった。
「そんな訳ない!」
怒号が響く。
「見てよ、セリア! ティナは生きてる!村だって!みんな、生きてるじゃないか!」
その声は震えていた。
信じたい。信じていたい。
たとえこの世界が幻でも――この温もりを、手放したくなかった。
「リク……ここは魂だけの世界なの。あなたの“もしも”が形を取った幻――」
「そんなわけあるもんか!!」
リクは叫び、ティナを庇うように一歩後ずさる。
その姿は、絶望に縋る人間そのものだった。
「お兄ちゃん、大丈夫? この人、誰?」
ティナが不安そうに見上げる。
リクは優しく微笑んで答えた。
「大丈夫だよ、ティナ、君は僕が守るから」
そして踵を返し、セリアから離れようとする。
その背を、セリアは必死に呼び止めた。
「待って!!」
彼女の声が、村の静寂を切り裂いた。
「今、現実の私たちの肉体を――バロムが命懸けで守ってるの!
もしこのまま戻らなければ、肉体が滅びて……私たちの魂は永遠に帰れなくなる!
バロムだって……一人じゃ長くは持たないわ!」
セリアの顔に、悲痛な影が差す。
「バロムが……」
リクの表情に動揺が走る。
仲間の名が、かすかな理性の光を呼び覚ます――。 だが、その瞬間。
空が裂けた。
黒い霧が村を覆い、世界が不気味に軋んだ。
風が止まり、空気が重く淀む。
やがて、暗雲の中から“それ”が姿を現す。
巨大な魔獣。
全身に骨の鎧を纏った骸の獣――。
空から産み落とされるように、闇が地に墜ちた。
「――あれは……!」
二人の脳裏を閃光のように走る記憶。
炎に包まれた村、崩れる家々、絶叫する村人、そして――ティナの、最期。
「行かなきゃ!!」
セリアは盾を背に、駆け出そうとする。
だが、リクの手が彼女の腕を掴んだ。
「待って!」
振り返るセリアに、リクは唇を噛みしめながら言った。
「君の言うことが本当なら……君はバロムのところに戻ってあげてよ。
村は……もう、諦めるしかない」
その言葉は、諦めというより――懺悔のようだった
自分を責め、過去を恐れ、未来を見失った男の声。
セリアの瞳に、涙が滲む。
ゆっくりと振り返り――
次の瞬間、乾いた音が響いた。
パシン!
セリアの手のひらが、リクの頬を打った。
「……あなたは、誰!?」
怒りではなかった。悲しみでもなかった。
魂を揺さぶるような、叫びに近い言葉だった。
リクは頬を押さえ、ただ呆然とセリアを見つめる。 その瞳に、初めて“迷い”が映った。
「もういいわ」
セリアは涙を拭い、静かに背を向けた。
「私の知っているリクは、ここにはいなかった…… 私は……一人で戦う!」
盾の紋章が光を放つ。
セリアは村へ向かって駆け出した。
燃え上がる幻の空の下、ただ一人。
リクはその背を見送るしかなかった。
罪悪感、恐怖、そして妹への想い。
それらが絡み合い、彼の足を縛りつける。
「……セリア……」
その名を呼んでも、返事はなかった。
やがて、黒い炎が空を焦がし、村の鐘が鳴り響いた
その音は、まるで――魂の牢獄を打ち鳴らす鐘の音のようだった。