第九話 小さな勇気
村に駆けつけたセリアの目に映ったのは――地獄そのものだった。
焼け落ちる家々、泣き叫ぶ子ども、逃げ惑う人々。 そしてその中心で、骨の鎧を纏った巨大な獣が、命を貪っていた。
魔王の眷属。死と呪いの使徒。
「……間に合って……!」
セリアは咄嗟に両手を掲げる。
「ベホマラー!!」
黄金の光が花弁のように広がり、傷ついた人々を包み込む。
苦痛に歪んでいた顔が、次々と安堵の涙に変わった
「ピオリム! フバーハ! スクルト!」
風が巻き、炎が押し返され、光の障壁が展開する。 空気が震えるほどの魔力の奔流、その中心にセリアは立っていた。
「今のうちに早く! 早く逃げて!!」
盾を構え、彼女は魔物と対峙する。
幻か現かなど、もうどうでもよかった。
助けを求める者がいれば、手を差し伸べる。
それが、セリアの信念だった。
骨の獣が咆哮を上げた。
空気が歪み、黒い瘴気が渦を巻く。
セリアは身を低くして跳び、盾でその爪を受け止めた。
衝撃が全身を貫き、足元の地面が砕け散る。
「っ……まだよ!」
歯を食いしばり、再び魔法を紡ぐ。
「フバーハ!!」
白銀の膜が展開し、炎と瘴気を相殺する。
獣の影が大地を覆う。
骨を纏った巨大な腕が、まるで天を裂くように振り下ろされる。
「お願い……耐えて……」
セリアは膝をつきながら、盾を地面に突き立てた。
***
リクは、走り去るセリアの背を見送るしかなかった
妹を守る。その選択が正しいのかどうか、もう分からない。
けれど、この背に感じる温もりだけは、確かなものだった。
「お兄ちゃん、村が……」
ティナの震える声に、リクは顔を上げる。
遠くの空――村の方角から、赤い光と黒煙が立ちのぼっていた。
心が叫ぶ。行かなければ、と。
だが同時に、恐怖が足を縛る。
“あの日”を繰り返すのか。
またティナを失うのか。
リクは頭を振った。
「大丈夫さ、ティナ。さっきいた女性――セリアって人はね、僕の友達なんだ。魔法も使えるし、とっても強い。彼女がみんなを助けてくれるさ」
自分に言い聞かせるように、苦しい笑みを浮かべた
ティナはその背から降り、じっと兄を見上げる。
「……お友達を助けてあげないの?」
その一言が、刃のように胸に刺さる。
リクの瞳が揺れた。
「……大丈夫さ。彼女は強いんだ。僕なんかより、ずっと。それに……」
そう言いながらも、言葉の最後は震えていた。
無理に笑顔を作り、ティナの頭を撫でる。
「兄ちゃんはティナを守らないといけないからな」
ティナは静かに俯き、そして小さく呟いた。
「……あたしね、お兄ちゃんに言ってないことがあるの」
その声には、微かな覚悟があった。
「この前言った“夢”の話、続きがあるの。
光の戦士が魔物をやっつけた後……あたし、死んじゃうの」
「な……にを言ってるんだ、ティナ!」
リクの胸が締めつけられる。
ティナはそれでも微笑んだ。
「でもね、不思議と怖くなかったの。
だって、最後までそばにいてくれた人がいたから 優しい顔で、あたしの手を握ってくれてたの。
――あれは、きっとお兄ちゃんだったんだね」
リクは絶句し、ただその小さな手を握り返した。
ティナの瞳には涙が光っていた。
「……行って、お兄ちゃん。行って、みんなを守ってあげて」
その声には、恐怖を超えた決意が宿っていた。
リクは思い出す――
かつて、命を散らす妹が言ったあの言葉を。
“お兄ちゃんは、光の戦士だから
ーーみんなを、守ってあげて”
心の奥で、何かが弾けた。
リクは立ち上がり、空を見上げる。
赤く染まった空の向こうで、セリアが戦っている。
「……わかった」
リクの声は、もう迷っていなかった。
「兄ちゃんは、友達を――みんなを守りに行く!」
ティナは涙を拭い、笑顔で頷いた。
「うん……! 絶対に、帰ってきてね!」
リクは頷き、妹を抱きしめると、静かに背を押した
「ティナは、みんなと安全な場所に。絶対に危ないところへ行っちゃだめだ」
「うん、わかった」
リクはもう一度、妹の瞳を見つめた。
そこに宿る“勇気”が、彼の背を押していた。
閃光の斧は手元にない。
だが――心の中には、確かに光があった。
ティナの想いが、その手を導いていた。
「セリア……待ってろ!」
リクは駆け出した。
焼ける風の中を、立ちのぼる黒煙の中を――。
足音が、崩れゆく幻の大地を叩いた。
その瞳に宿るのは、かつての少年ではなく、
“選ばなかった過去を超える”戦士の決意だった。