間話 灰謀の遺言
ガテリア皇国。
それは、かつてドワーフの偉大なる英雄、三闘士の一人――閃光の斧カブが建てた国である。
山々に囲まれたその地は、金と鉄の恵みを受け、火と技の力で繁栄を極めていた。
炉の灯は絶えることなく、民は歌い、笑い、夜空に響く鍛冶の音さえ祝福のように感じられた。
カブは王として民を愛し、民は王を敬った。
勇敢でありながら情に厚く、力と優しさを兼ね備えた王。
――だが、ひとつだけ、神が与えなかったものがあった。
それは、後継だった。
歳を重ねても子に恵まれなかったカブは、祈りに日々を費やした。
そして、晩年。
老いた腕で祈りを捧げた夜、ついに願いは届いた。 彼の妻が一人の男児を産む。
その子の名は――ハーゼル。
王は喜びに涙した。
「この子こそ、我が光。ガテリアの未来だ」
ハーゼルは父の背中を見て育った。
広い背中。
その掌が、民を守るように国を包み込んでいた。
幼いながらも、ハーゼルは確かに誓った。
――いつか、自分もあのように強く、優しい王になるのだと。
しかし、運命はあまりにも残酷だった。
ハーゼルが六つになる頃、王カブは病に倒れた。
英雄が、砂のように崩れ落ちていく。
最期の夜、王は幼子の手を握り、穏やかに微笑んだ
「ハーゼル……たとえ闇に飲まれても、光を探す者でありなさい……」
それが父の最期の言葉だった。
王が逝き、幼き王子が即位した。
大臣たちは初めこそ敬意を装ったが、次第に変わっていった。
幼い王を“玉座の飾り”とし、裏で国を食い荒らす
権力は腐敗し、民の不満は溜まり、ガテリアは少しずつ軋み始めた。
やがてハーゼルが成長し、現実を理解する年齢になる頃には――
王権は既に空洞となっていた。
「どうして……父上の遺した国が……」
少年の叫びは誰にも届かない。
宮廷の廊下には、かつて響いていた鍛冶の音もなく、代わりに金貨の音と嘘の笑みだけが満ちていた。
それでもハーゼルは諦めなかった。
彼は父の言葉を胸に、正しき国を取り戻そうとした
不正を暴き、腐敗を糾し、信頼できる臣下たちを集めた。
だが――遅かった。
反乱、内乱、同盟崩壊。
ウルベアもドルワームも、もはや助けてはくれなかった。
戦火は山を越え、国は荒廃の淵へと沈んでいった。
ハーゼルは国を守るために最後の策を講じた。
子らを、唯一信頼できる老臣に託し、
自らは敵軍の前に立ち塞がった。
「父上……どうして、誰も救われないのでしょう」
その問いに答える者はもういなかった。
そして、ガテリアは滅んだ。
***
どれほどの時が流れたのか。
闇の中で、声がした。
――おもしろい。哀れで、美しい魂だ。
目を開けると、そこにいたのは黒き王。
骸の玉座に座す、骨喰らいの魔王だった。
「貴様を蘇らせたのは退屈しのぎだ。だが……どうする?
再び国を築くか? 滅びを見届けるか?」
ハーゼルは答えた。
「……もし歴史を変えられるなら、教えてください。その術を」
魔王は笑った。
「よかろう。ならば――時を喰らえ」
その日、ハーゼルは禁術を得た。
過去を記録し、因果に干渉する術を……。
***
そして、長い長い時が始まった。
ハーゼルは何度も歴史をやり直した。
王の死を避け、臣下の裏切りを防ぎ、戦を回避しようとした。
だが、どの選択も結果は同じだった。
いつか必ず、ドワーフは争い、血を流し、国は滅んだ。
「なぜ……なぜ、同じなのだ……!」
歯を食いしばっても、未来は変わらなかった。
理想は崩れ、心は擦り切れ、やがて彼は悟る。
――因果は覆らない。
――選択肢はなく、未来は変えられない。
ならば。
せめて、自分がこの業を背負おう。
すべての罪を、自分一人で終わらせよう。
ハーゼルは鏡に映る自分を見た。
そこにいたのは、王ではなく、亡国の亡霊だった。
「……力のない僕には、こんな道しか残されていないんだ。
……ごめんね、父さん」
その声は、虚空に吸い込まれた。
返るはずのない“父への祈り”を抱いたまま――
彼は灰となり、やがて“灰謀のハーゼル”と呼ばれる存在へと変わっていった。