毎度、DO10とは無関係なことが以下にはあります。
如何にするかは貴方次第。
ただし、駄文なので戻られた方が良い。
行きはヨイヨイ帰りはコワイ、不帰の旅路は独りがヨイ、アーコリャコリャ♪
さあ 繰り返した延長戦
変わんない毎日を無駄遣いしていくよ
死んだ顔のメインキャスト=鏡に映る自分にホント萎えちゃうんだ
昨日やった宿題も思い出せないような生活しているのなら
生きてる意味ないんじゃないの?
例えるなら
感情も感傷も感覚も感動も
関係も関心も完成もないような
クソ映画だ
僕の人生のエンドロール
眺めてすっと 薄ら笑いをした
空っぽでなんもない スタッフロールが流れていく
「誰も分かってくれない。だから誰の事も理解できなかった。」
最低な言い訳ばっか並べてる 僕がそこで泣いていた
僕の人生は虚飾にまみれ
色ばかり付いた ガラクタな台本さ
分かってんだそんなの クランクアップにはまだ早いね
「誰も分かってくれない。だから誰の事も理解できなかった。」
最低な言い訳ばっか並べても 僕は何も変われない ああ
エンドロール / 夏代孝明
毎年、星のごとく産まれては消えていくソーシャルゲーム。
私は時々、サービスが終了した世界を想像する。
( 大抵のソーシャルゲームは ) 可愛くて楽しそうで、
その架空の世界で息をしているキャラクター達のこと考える。
彼らはどこへ行くのだろうか?と。
彼ら・彼女らを愛した人がいる、励まされた人がいる、涙した人もいるかもしれない。
終わりを迎えた時、私たちはどんな感情を抱くのだろうか?と。
それとも、これは莫迦な考えなのだろうか。
何の意味もなさないことなのだろうか。
この「 終了した世界 」を想像したとき、
私はDQ10の「 偽りのレンダーシア 」が思い浮かぶ。
創られた世界。
新しく産まれる者もなく、停滞した世界。
そして、ただ終わりを待つ世界。
その世界に生きる者は終わりを望むのか、生きることを望むのか。
色褪せたココラタの浜辺で私は考える――
-------------------------------------------------------
10年が過ぎました。
私の「 ひつじおとこ 」にも愛着以上の何かがあります。
手を伸ばせば短い緑色の手が伸び、
アストルティアの風を肌に感じることさえ出来そうですらあります。
もう足を運ぶことがない、様々なフィールドに思い出があり
すれ違った人や交わした言葉に記憶が揺れます。
そして時々、想うのです。
私たちはどこへ行くのだろうか?と。
現在1月31日 23:45分
もうすぐ新しい物語が紡がれます。
Ver6.4以降もどうぞよろしく。