「モッ…」
そして二人が異常に気付くのを待っていたかのように、呻き声のような鳴き声をあげて、3列先の座席の列からゆめにゅうどうが、ひょっこり顔を覗かせる。
「お前がこの人たちを眠らせたのか!って、ちょっと待って数多すぎ!!」
座席の列の間から、どう考えても収まりきらない数のゆめにゅうどうが次から次へと歩み出てくる。
たちまち車両の中はゆめにゅうどうで埋め尽くされ、マージンとマユミめがけ大量の枕が飛来する。
「マージン、あれに当たったら乗客同様夢の中よ!絶対に避けて!」
「わかってるっ!けどなぁ…うおおっ、今のは危なかった!」
飛来する枕は1個や2個などという生易しい量ではない。
おまけに、ブーメランの如く旋回したり、不規則に突然曲がったりと、枕の軌道は到底予測できるものではなく、直感と反射神経に頼り回避を続ける綱渡りの時間が延々と続く。
慌てて、進んだ道を逆戻り。
すっかりスタート地点まで後退してしまったが、スワンボート衝突の衝撃で座席がいくつか薙ぎ倒され、ある程度のスペースができたこの場所でなければ、たちどころに枕の餌食になっていたことだろう。
しかし、もう逃げ場がない。
「そっちは大丈夫か!?って、うおおおいっ!」
ふと視線を向けた先では、枕をさながらキングサイズのベッドの如く、おだやかな寝息をたてるマユミ。
車内の乗客同様、その姿はゆっくりと枕に沈み込んで融合していく。
「お前、俺より避けるの楽ちんでしょうがっ!寝るなっ!起きろ~ッ!!」
何とかマユミを起こそうと大声を上げるマージン。
対するゆめにゅうどう達も、巧みに枕をかわすマージンにしびれを切らし、戦法を変える。
「そんなんありかっ!?」
投擲した枕が当たらぬならば、押し当てればよい。
人海戦術ならぬ獏海戦術で、マージンに向かい押し寄せるゆめにゅうどうの群れ。
揉みくちゃに押し当てられるゆめにゅうどうの、上質なぬいぐるみの如き肌の感触がマージンを襲う。
「あっ、ダメだ…くそっ…ねむ…」
眠気に襲われると同時、耳からではなく、直接脳に響くような、甘い女性の言葉が聞こえてくる。
「あきらめろ…あきらめろ…お前の夢はかなわない…あきらめろ…」
言葉を一つ一つ重ねられるたび、眠気が一段、また一段と強くなる。
「まず…い…く…そ…」
もはや意識を保つのも限界。
まさにその時、強烈な眠気に霞むマージンの視界の片隅で、青白い光の線で形作られた魔方陣が描かれていく。
セイロンの死霊召喚に伴う、青と白の薔薇の花びらが魔方陣より吹雪の如く舞い上がった。
「肆連双頭蛇(ヤマタノオロチ)!」
しわがれた声とともに、花びらの渦を貫いて飛来する、4本の緑色の矢。
それぞれが二つに分かれ、8匹の大蛇の如く、複雑な軌道を描いてゆめにゅうどうを蹂躙していく。
8本の矢の軌道はマージンやマユミ、そして列車の乗客を巧みに避け、やがて全てのゆめにゅうどうと枕を撃ち貫き、消失させた。
ゆめにゅうどうが消えると同時、マージンはまるで嘘のように、先ほどまでの猛烈な眠気から解放された。
そうなればまず、何を差し置いてもやる事は決まっている。
「あいたっ!!な、なにすんじゃ~~~っ!」
幸せそうな寝息を立てていたマユミのおでこに、マージンのデコピンが炸裂した。
「良い夢見てたのにっ!!」
抗議の言葉をまき散らしながら眼前を飛び回るマユミを振り払いながら、救いの手が飛び出してきた方向へ目を向ける。
「もしかしてアンタが、セイロンさんの言ってた助っ人ってやつかい?」
次第におさまっていく花びらの吹雪が、一つの像を結んでいく。
やがて結実したのは、黄緑色のショートマントに、胸当て以外は一際目立つ鮮赤の左手袋のみと、全体的に動きやすいよう軽装な上半身に対し、重量による反動軽減も兼ね、緑に染め上げた神兵のグリーブを纏った、一人の弓兵。
しかしその腰は大きく曲り、あろうことか、緑と赤に彩られた刺々しい弓を杖の代わりに地に突き立て、ぷるぷる震えながらやっと立っているような、老人の姿だった。
「婆さんや!!飯はまだか!?」
「誰が婆さんじゃっ!?」
その口からはマユミに対し見当違いな言葉が飛び出す。
「おお、ガルムや、よしよし。たっぷり撫でちゃろ」
そしてそのまま抗議するマユミを無視し、ペットか何かと勘違いしているのか、しわがれた両の掌でマージンを揉みくちゃにする老人。
セイロンの完璧な死霊召喚は、対象の人物を死亡した際、そのままの姿で呼び戻す。
元、戦士団『真の太陽』所属、ルシナ村の弓使いレオナルド。
その享年は末広がりの88歳。死因は老衰であった。
そして晩年、痴呆がかなり進んでいたことは、今明らかになった史実である。
続く