本来居るべき車掌不在の先頭車両。
かわりに居座る、白い着物を左前にまとった妖艶な女は、骨で形造られた豪奢なソファにひざを組んで大仰に腰掛け、小瓶に詰められた血のように朱いマニキュアを、既に朱い爪に丁寧に塗り重ねていく。
「ふぅっ…」
筆を置くと、滴り落ちそうな光沢を鎮めるようにピンと伸ばした指先に吐息を吐きかけた。
その時ピクリと、エルフの如く尖った耳が僅かに揺れる。
マニキュアののり具合を確認する傍ら、もはや女の一部となりつつある箱舟を通して、襲撃が失敗した事を感知したのだ。
「これで233回目の失敗。ここまで役に立たないとはね」
ソファと同じく骨造りのサイドテーブルには、無惨に斬り落とされた亡者の手首に支えられているオーブが一つ。
薄っすらと紫がかった球体を覗けば、一向に眠らせ取り込む事ができない厄介な三人の子供に加え、見知らぬ冒険者たちの姿が浮かぶ。
「…あら何よコイツら」
目を閉じ、箱舟周りに張った結界に意識を向けると、最後尾にド派手な穴が開けられているのを発見する。
霊的感覚の目を通して、穴を抜けて遥かアストルティアの大地へと伸びる糸を3本視認。
それはセイロンの術により形成された、ロマン達の肉体と魂を結ぶ命綱だ。
「死人じゃない…。デスマスターどもの差金かしら?あと少しだというのに…」
呟いて、あと少し、という自身の言葉に顔をしかめる。
あと少し、わずか3人の魂を手に入れることができず、はやどれだけの時間を無駄にしたことか。
「誰の妨害を受けようと、あたしは必ず手に入れるんだから…」
外部からの介入を受けたともなれば、もはやいつまでも役を為さないゆめにゅうどうに頼っている状況ではない。
女はゆらりと立ち上がると、オーブを睨めつけた。
「…なんて、恨めしいこと」
絡みつけるような怨嗟を込めた女の視線は特に、パタパタと羽根を乾かすマユミに絡みついていたことを、当のマユミは知る由もないのだった。
「ほら、アジロ、ソワレ、ちゃんと挨拶して」
ハクギンと比べてもさらに年若く、おそらくはどちらも齢10を数えていないと思われるドワーフの子供達は、ハクギンに促され、岩から飛び出した勢いと裏腹に、おずおずとロマン達の前に歩み出る。
「あっ?もしかして…」
子供達が意を決して口を開く直前、遮るようにぱあっと笑顔を咲かせるテルル。
「…うん、テルルお姉ちゃん、また会えたね」
兄アジロの背に隠れるようにしながら、おずおずとテルルに言葉を返すソワレ。
「やっぱり!二人共久しぶり!!」
満面の笑顔を浮かべ、テルルはドワーフの兄妹を抱きしめた。
「…お知り合いで?」
たっぷりと海水を吸った為、脱ぎすてた上着を絞りながら、置いてけぼりにされた一同を代表してマージンが尋ねる。
「もう一年前になるかしら?ガタラの病院に慰問公演にお邪魔したときにねっ」
「うん!」
通常、入院患者の負担にならぬよう慰問はお昼過ぎ、一時間程度で手短に済ますものであるが、件の公演の日は、グレンにて大地の箱舟がモンスターと化し暴れるという珍事に見舞われて、やむを得ずテルル達は病院に一泊させてもらう事になったのだ。
生まれつき病弱で、あまり外に出る事ができず、世の流行に取り残されていたソワレにとって、わずか3曲だけのミニコンサートとはいえ、その体験はソワレの世界を一変させた。
テルルが滞在した僅かな間、ソワレはずっとピッタリとテルルに付いて回り、僅かなひとときながら、歌の練習や将来の夢を語り合うなど密な時間を過ごしたのだ。
いつかの再会と、ソワレの病の完治を願って、テルルがプレゼントした手彫のロザリオが、ソワレの首元で残酷に揺れているのだった。
続く