齢70を迎えた今でも、テルルは生涯現役をモットーに、精力的に歌手活動を続けていた。
今日は年に一度の恒例行事、ガタラの病院での慰問コンサートに向かう予定になっている。
年季の入ったドレッサーの前に腰掛け、化粧箱に手を伸ばした所で、ドタバタと駆け込む足音とともにバッターンと豪快にテルルの家の扉が開かれた。
「おはようございます先生!!」
「はい、おそようございます」
「あっ、何でご自分でメイクされてるんですか!?私がやりますっ!」
「…あのね、あなたが30分遅刻しなければ…はぁ、まあいいわ」
「はいはいはいはいごめんなさい、じゃ始めますね」
すっかり慣れたやり取りを交わして、テキパキとマネージャーのオーガの女性はテルルにメイクを施していく。
「そういえば、弟さんは今日もラッカランに?」
「はい、懲りずに今日も行きました」
「…ロマンも意地悪せず、とっとと弟子にしてあげればいいのにねぇ」
「そういえば先生は、工匠ロマン様とお知り合いなんでしたっけ」
「ええ、ほんの、腐れ縁ですけどね」
わずかに微笑み、テルルは最近顔を合わせていない偏屈老人に思いを馳せた。
ラッカラン闘技場の地下。
熱気と汗の臭いが充満する酒場で、年老いたロマンは今日も一人、スルメをつまみに酒を煽っている。
角のテーブルに陣取るロマンのもとへ、つかつかと一直線に歩み寄る若者が一人。
「今日こそは、弟子入り認めてください!お願いします!!」
二十歳前後のオーガの青年は、ビリビリと酒場全体の空気を震えさせるほどの大声をあげると、お辞儀というには過剰に、地に頭がつくのではないかという勢いで体を折り曲げた。
「…お前も懲りねぇやつだな」
何事かと一斉に集まる客達の視線も毎度のこと。
すっかり慣れた今となっては、動じることも恥ずかしく思うこともない。
当のロマンはもちろん、ちらほらと散見される常連客もまた、ああ今日も来てるのかと呆れ顔を見せている。
はや半年に渡り150回以上も繰り返せば、さもありなんという話である。
「嫌だっつってんだろ、面倒くせぇ」
コップから目を逸らさず、満たされた酒を一気に呑み干すロマン。
「師匠の作品に惚れたんす!子供の頃から、師匠の弟子にしてもらうのが夢だったんすよ!今日こそ、認めてもらうまで帰りませんから!!」
若者が肩から下げる大きめのワンショルダーバッグからは、すっかりレトロな風格を漂わせる、ドルセリオンの玩具が顔を覗かせていた。
あちこち塗装も剥げてはいるが、関節部が補修されていたりと、丁寧に扱われ、大切にメンテナンスしている跡が見て取れる。
「…仕方ねぇなあ。今日はちょっと気分がいい。小僧、一つ、テストしてやるよ。オレの満足いく答え出せなかったら、今度こそ諦めろ。いいな?」
「勿論す!絶対合格してみせます!」
「じゃあ聞くぞ。…お前さん、どうして大工になりてぇんだ?」
「俺は…」
若者の答えを聴き、ロマンはニヤリと微笑むのだった。
「はい、メイク終わりました、先生!」
「ありがとうね。じゃあ、遅刻した罰として…」
「ええ~っ、またですかぁ!?」
これもまた、何度も繰り返したやり取り。
もはやみなまで言う事なくとも、テルルの課す罰則の内容は分かりきっている。
「そりゃそうですよ。ちゃんと、あなたの遅刻と、その罰として一曲歌ってもらう時間も考慮して、スケジュール組んでるんですから」
「それ、とっても性格悪いですよぅ、先生。はぁ…しょうがないなぁ…。ところで、まあ私も大好きな歌ですけど、先生も随分、古い歌がお好きですよね」
「いいえ、私はあなたが歌う、その歌が好きなのよ」
「はいはい、わかりましたよ」
茶化されていると感じながらも、尊敬する人に煽てられ、頬が薄桃色に火照るような気がする。
んんっ、と軽く咳を払い、マネージャーは力強く歌い始めた。
あの日、最初で最後のデュエットを演じた、テルルとソワレの、想い出のあの歌を。
瞳を閉じて、耳から流れ込む歌に身も心も任せるテルル。
「僕が僕を愛し~ぬ~くこと~…なぁまだ信じてもいいか~…」
蒼天の空に、済んだ歌声が響き渡る。
歌い手の耳元には、純白の羽ばたく小鳥をあしらったピアスが、静かに揺れているのだった。
~Fin~