視界を埋め尽くす炎。
孤児院は夜だというのに煌々と明るく、煙を押し退けて、共に育った友達の濃密な血と肉が焼ける臭いが鼻を塞ぎ、払っても払っても塗り込められたように纏わりつく死の臭いに少女は吐き気が込み上げて、その場に崩れ落ち激しく嘔吐を繰り返した。
何もかも吐き尽くして胃液に血が混じりだしてようやく少し顔をあげると、焼け落ちなお激しく燃える柱の折り重なる向こうに、先生の姿が見える。
優しく時に厳しく、誰にも別け隔てがない。
いずれこんな大人になりたいと憧れた人の後ろ姿。
その腰まで流れる金髪を掻き分け、赤く濡れた漆黒の刃が背を貫き飛び出していた。
熱と胃酸で灼けた喉から無理矢理絞り出した絶叫。
それが、自分の声だと気付く間も無いうちに、唐突に過去の悪夢は終わりを告げる。
「先生っ…!!」
必死に伸ばした届かぬ手と、馴染みない天井が目に映る。
気付け代わりにガシガシと短い白髪を掻きむしり、一糸まとわぬ身体にまとわりついた薄い毛布を跳ね除ける。
「…はぁっ…はぁっ…また、か」
首を振れば飛沫が飛びそうなほどにびっしょりと髪を濡らす汗を流す為、女は起き上がると洗面所に雪崩れ込んだ。
蛇口を捻れば、宿屋裏の大樽にストックされた新鮮な井戸水が勢いよく飛び出してくる。
その水流に頭を突っ込み、悪夢に火照る脳ミソをじっくり冷やした。
やがて落ち着き顔を上げ、鏡を見やれば、ケロイドにまみれた見慣れた顔が写し出される。
この傷に、あらためて誓う。
「あと少し…あと少しだ、皆…」
必ず、仇をこの手で。
女は井戸水と夜の風ですっかり冷えきった身体を窓辺へ引き摺ると、全てを失ったあの日と同じ、嘲笑うような三日月を睨むのだった。
「なに?不在?…入院した!?大丈夫なのかねアイツは?」
諸々の功績や牢獄内での数々の発明品による社会貢献が認められ、はれて自由の身となったフィズルは、故あってマージンのもとを訪れたのだが、応対に現れたのはマージンの息子のハクトであった。
やはり血の繋がりは偉大と言うべきか、マージンの面影を色濃く受け継ぐハクトを見ていると、幼き日のマージンの世話をさせられていた頃を思い出し、多少は心配な気持ちも湧いてくる。
「カジノで酔っ払ってドルセリンを十本ほど飲み干したらしくて」
「…人間辞めたいのかあのアホは」
一転、心配して損をしたと、フィズルは天を仰ぐ。
勿論清涼飲料水などではないドルセリンを過剰摂取した結果、大腸の内側からドルブレイブの勇気の源が猛り狂い、病院のお世話になる羽目になった。
病室のベッドにうつ伏せになり、患部を刺激せぬよう尺取り虫の如くお尻だけ持ち上げた姿勢の父の姿は、理由も理由だけに申し訳ないが息子の目から見てもアホかと思った。
「退院までにはまだしばらくかかると思います。何か手伝えることがあれば話だけでも…」
「いや、それには及ばない。お邪魔してすまなかったね。マージンには、良い機会だからしっかり頭を冷やしてこいと伝えておいてくれたまえ」
踵を返すと、未だ未完成のまま宙を舞う黒鉄の鉄拳、グレートフィズルガーZに跨り、フィズルは猛スピードで彼方に消えていく。
…僕じゃ父さんの代わりになりませんか?
ハクトの問い掛けは遠ざかるフィズルの背に向けて、か細く響き、けして届くことはない。
まだ自分は幼い。
それは誰よりも自分が一番よく解っている。
普段はあれでいて実は凄腕の冒険者である父と自分の実力の乖離も理解している。
それでも、仲間外れにされたような疎外感が心に燻り、自作の強化スーツを内包する腰に下げた剣を見やる。
もっと自分に力があれば。
もっとこのスーツに強力な武装があれば。
嫉妬と羨望、向上心と呼ぶにはあまりにも不純物が混じりに混じった暗い感情が心を埋め尽くしていく。
「…はぁ。気晴らしに出掛けよう…」
こういう気分の日は、何をやっても上手くいかないものだ。
最近、足繁く通うメギストリスの発明万博会場に向けて、身なりを整えるハクトであった。
続く