ある朝。
任務の果てに、娘が命を落としたと聞かされた。
見えぬ瞳なれど、真に視界が真っ暗になるとはこういうことなのかと、悲しみより先に驚きが来たのを覚えている。
しかし、これはそう、ありきたりな悲劇だ。
歩けばそこら中に転がっている、珍しくもない話だ。ただ、心のどこかで、それが自分達の身に降りかかるはずはないと、勝手に勘違いをしていた。
それだけのこと。
もとより実の娘ではない。
昔に、一匹で暮らす魔物に、戻っただけ。
だというのに。
アカツキと出会う前に戻っただけなのだと、腑に落とせないのは、何故だ。
一匹だった頃の自分は、何に喜び、何に生きがいを感じ、何に憤っていたのか、どうしても、思い出せない。
まるで心が石になってしまったように、何も感じないのだ。
形だけ、空っぽの葬列を物陰から見送り、せめて安らかに眠らせてやろうと、そうすれば何か変わるのではないかと、ずっとこの10年、アカツキの亡き骸を探しながら、『ふり』をして生きてきた。
楽しいふり…
悲しいふり…
怒ったふり…
狸が自分を化かして生きるなど、笑い草にもならない。
そしてようやく娘の亡き骸を取り戻したとて、残念ながらそれは変わらないようだ。
喪失感に蓋はできず、おのが心は三日月のように大きく抉れたまま。
それでも。
そう…
そうだな…
角屋でじにーと過ごしたあの一夜は、楽しかった。
確かに、あの時の自分は心の底から楽しかったのだと、今なら、わかる。
地面に叩きつけられた衝撃から肺が再び空気を吸い上げるにしばし要した。
高熱にひりつく肌、腕や脚に走る鋭い痛みは、夜行石の破片による裂傷からくるものだろう。
だがしかし、間近での爆発、死を覚悟していたじにーである。
随分とダメージが少なく、訝しみながらようやくうっすら目を開く。
「じにー!良かった…」
リーネが思わず抱きつくものだから、傷口に追加で走った痛みにぱっちりと目を開いたその視界に、じにーが無事であることの、知りたくない答え合わせが待っていた。
「たぬきち…嘘でしょ…」
じにーの隣、ズタズタに破れた着物を真っ赤に染めたたぬきちが、アカツキの亡き骸と並びそこに横たわっていた。
夜行石の爆発の刹那、間に飛び込んだたぬきちが、じにーに成り代わりほぼほぼ全ての破片をその身に受けていたのだ。
「自分の身は自分で守れって…言ったのあんたじゃん!何やってんの!?」
飛びかからんばかりの勢いのじにーを、そっとリーネが押し留める。
「…ごめん。魔物の身体は…回復呪文が効きづらいの…ホイミしか使えない私じゃ、痛みを和らげるのが精一杯…ごめん、私がもっと、回復呪文を使いこなせていたら…」
リーネのせいではない。
思えば山に入ってからここまで、たぬきちが先に立ち露払いをしてくれていた。
初めて出会ったあの夜もそう、ずっと、護ってくれていたのだ。
「…気に、するな…儂はもう随分生きた………それに、な…これまで冒険者を…斬ったのも…一人や二人では、ない…」
実際それは事実であるのだろう。
しかし取り繕うように今わざわざ口にした理由が、じにーに罪悪感を持たせないためであることは、子どもにだってわかる。
「…満足…だ…満…足だとも…」
気付けば勝手に身体が動いていた。
ただ、それだけだ。
強いて言うならばそう、角屋での一夜は楽しかった。誰かのために命をかける理由なんて、いつだってそんな、簡単なことだ。
「…楽しかった…ああ…楽しかった…なぁ?」
僅かにじにーの方へ、刑部の顔が向く。
ふるふると僅かに浮いた毛むくじゃらな手を、じにーはきゅっと握り締めた。
その温もりは、刑部に懐かしい手を思い出させる。
これで、良かったのだ。
出逢ったあの日、着物の袖を引いた幼いアカツキの手を、振り払わず握り返したこともそう。
何一つ………
後悔はない。
「ああ、そう…だ…な…そ…そろ、帰ろ…う…アカツキ…」
遠い夕暮れ。
血の繋がりどころか種族すら遥か異なれど、手を繋ぎ共に家路を歩む懐かしい幻を、もはや焦点の定まらぬ瞳に焼き付けて。
心眼たぬき、刑部権左衛門本近は、静かに息を引き取る。
1つの夜行石を巡る永い戦いが、ようやく今ここに、幕をおろしたのだった。
続く