しまった。
完全に敵を侮っていた。
セ~クスィ~は事前の分析が足りなかったことを心から悔いていた。
まさしく煮え油を呑まされた五臓六腑は悲鳴をあげ、唇と舌はしびれ、目が霞んでいるような錯覚すらある。
右手が、重い。
早く次の一手を…次の一手…を………
「それ、水じゃなくてドルセリンだけど………大丈夫?辛さまで合わせなくても良かったのに…」
白木のカウンター席、セ~クスィ~の様子を横から心配そうにショートにまとめた金髪の女史が覗きこむ。トレードマークの赤髪に匹敵するほどに肌を赤らめるセ~クスィ~をこの戦場に連れ出したのは、親友のティードである。
「郷に入っては郷に従う…店主のおすすめを注文するのが、私のポリシーだ…気に病まないでくれ」
「まぁ…それも楽しみ方の一つよね」
そういって、やはり顔を赤らめ汗を流しつつも、ティードはセ~クスィ~に先んじてまた一口と食べ進める。
夫であるマージンが辛い料理を得意としない為、ティードは時折、こうして友を連れて辛い料理を求めランチに洒落込む。
特製鬼辛地獄担々麺辛さ&痺れマキシマムトッピング。
過去にも何度か別の店舗で同様の席を設けてきた、セ~クスィ~もまた辛い料理に耐性がない訳ではないのだが、今日のお店は別格であった。
やがて、快速で己の限界に至りつつあるセ~クスィ~と反対隣の席へ、するりとグラスに注がれる水のように腰掛けるウェディの姿があった。
(わぁ………綺麗………)
たかだか椅子に腰掛けただけ、ただそれだけなのに、何処かの貴族のご令嬢と言われても納得の礼儀正しい所作に、悪いと思いつつもティードは目を奪われた。
ティードは潜入工作という仕事柄、アストルティア全域の風土風習に精通している。
新たな客の、耳のヒレと目元以外はすっぽりとマッシュルームのように膨らんだ帽子とフェイスベールで顔を隠した装束、ガタラとドルワームの中間辺りに位置する文化圏にかつて女性は外出時顔を隠すものという風習があったかと思うが、先程の礼儀作法はドワチャッカはおろか他のどの大陸のものとも合致しなかった。
(…いけないいけない)
ついつい見惚れ、考察を巡らせてしまった。
空になっていたセ~クスィ~のグラスに水を注いでやり、ティードもまた未だに刺激的な湯気を放つ自らの器に向き合う。
件の女性、め~たはといえば、くるりと店内を見渡し、壁にかかるお品書きを見つけてじっくりと品を定める。
(………いい香り…久々に辛い料理が楽しめそう…!)
生半可な激辛料理では辛さを認識できない程に極まっているめ~たの嗅覚は、あまりの刺激ゆえ店主が提供を躊躇いカウンター内にただ鎮座するのみの唐辛子、キャロライナリーパーの香りを手繰り寄せていた。
殺人級の代物ではあるが、なるほどリーパー、名は体を表すという、デスマスターの秘術に通ずるめ~たには相応しいのかもしれない。
「…お客さん、ご注文はお決まりで?」
「はい、『地獄落とし』、大盛りでお願いいたします」
め~たのオーダーにざわりと店内の空気が泡立つ。
お品書きに存在しないそのメニューは、かつてあまりの辛さに教会送りとなる者を排出し、半ば封印された禁忌の料理であった。
「あいよ」
『地獄落とし』のメニュー名を知る以上、全てを覚悟の上での注文であろう。
そこで茶々を入れるは料理人として無粋の極み。
もう作ることは無いだろうと思いつつも、アレは自身の最高傑作、もし注文が入ればいつでも提供出来るよう、キャロライナリーパーを含め、『地獄落とし』にしか使用しない材料の仕入れも欠かしてはいない。
スープのベースとなるは、アズランの蔵元に特注し唐辛子を混ぜ込んで熟成を重ねた血のように赤い味噌。そこに、辛味、香り、甘味、それぞれの観点でチョイスした三種の唐辛子を種も含め乾燥させて挽き混ぜ合わせたパウダーを大さじで4杯。
鶏ガラと昆布出汁、練り胡麻を加えたスープで溶き、黄身の黄色が眩しい麺を浸らせ、もやしの冠に全て脂身と勘違いするほどのトロトロに煮込んだ叉焼をあしらい、最後の一押しに麻痺したような痺れをもたらす花椒を大さじ3杯振りかければ、今セ~クスィ~とティードが挑む『特製鬼辛地獄担々麺辛さ&痺れマキシマムトッピング』の出来上がりである。
め~たの注文した『地獄落とし』の場合、すぐそこの荒野でモンスターをアンタッチャブルで叩き潰して作ったと言われても納得するような生々しいキャロライナリーパーのペーストが味噌と同量、唐辛子パウダーと花椒も各大さじ一杯を追加、更には麺もまた唐辛子を練り込んだ赤い麺となる。
「へい、お待ち」
どん、と置かれた器に広がるは、まさしくこの世の地獄といった光景であった。
続く