「ああん?何言ってやがる。お代なんざ頂かねぇよ。ちっとフグの白子酒が呑みたくなってなぁ、そのついでだ、ついで。おっと、免許ならちゃんと持ってるから、安心しな」
盛られた魚の中でも、際立ってフグが滅多にお目にかかれない高級魚である所以。
キアリーで解毒不能な致死性の毒を持つが故に、調理職人ギルドの発行する免許が無ければさばくことは許されない。
とはいえまあ、ここが場末の酒場ならともかく、漁師町では免許を持たぬ者を探すほうが無茶というもの、無用の心配である。
「あとな、これは梅干しの礼でもある」
ルシナ村を訪れるに際し、じにーは初夏に皆で作った梅干しを一壺、手土産代わりに持参した。
「お前さんの手作りだってな。初めてとは信じられねぇくらい、良く漬かってる。おかげでい~い煎り酒ができた」
皿の中央、刺身で描かれた竜の爪が握るように据えられている杯には、醤油の代わりに薄い琥珀色の調味料が波をうつ。
白身全般、とりわけフグの淡白で上品な味には醤油よりもポン酢が合うが、それだとしても杯の中身は見るからに色が薄い。
「…煎り…酒?」
聞き慣れない単語、オルカンの視線から、杯の中身がそうなのだろうと予想はつくが、一見して、何か梅干しと関係しているようにはとても思えなかった。
「あ~、最近はあんまり作られてねぇんだっけか。まぁ、百聞は一見にしかず、食ってみな」
それぞれに刺身を選びちょんと端に煎り酒をまとわせ、未知への期待とちょっぴりの不安に心躍らせながら口へと運べば、感嘆の声が咲く。
「すっ、と薫りが鼻に抜ける!」
「うわ~、上品。醤油より好きかも」
「しっかり脂のってるのにするっと食べられる!」
今でこそ醤油が主流だが、以前はこの煎り酒が調味料のスタンダードであった時代もあるという。
酒に昆布を沈めて数時間。
旨味が溶け出したところで昆布を引き上げ、種を抜いた梅干しを入れて潰すように馴染ませながら煮詰める。
折を見て火から下ろし、鰹節を加えて鍋底まで鰹節が沈むのを待ち、濾したら煎り酒の完成だ。
ポン酢に比べ酸味に角がなく、濃縮された昆布と鰹の合わせ出汁の旨味と酒の風味が優しく魚を化粧する。食材の向き不向きはあろうが、未だオルカンのように根強い愛好家がいるというのも頷ける。
あの梅干しが、思わぬ化け方をしたものである。
結局、刺身の量につられて白米をおかわりまでし、またもや懲りずに腹をパンパンに膨らませた3人なのであった。
「…いやぁ、食った食った」
「また食べ過ぎてしまった…」
「それにしても一段と豪華だったねぇ」
「うんうん。それに見た目も芸術的だったね!」
忍び寄る重さステータス上昇の驚異をひとたび忘却の彼方へと押しやって、少しでも胃の苦しさを紛らわせんと口を動かす。
「そ~そ~!煎り酒を入れた器も表現の一部に溶け込んでて…ほんと、手が込んでた!」
「…ん?………何か…引っかかる…ような…」
あげはの感想から、皿に描かれていた今や跡形もない竜の姿を思い浮かべたユクは、そこにある僅かな違和感に思いを巡らせる。
「喉に骨でも?そういう時はご飯飲み込むのがいいんだっけ」
「あ、いやそうじゃなくて…」
実に見事な竜だった。
大皿いっぱいにその長い身体をぐるりと巡らせて、あげはも指摘したように、煎り酒の器はチンターマニに見立て…
「…チンターマニ…そうだ!チンターマニ!」
「…え?」
「なんて…?」
「きゅ?」
閃きに辿り着いたユクは勢い良く立ち上がる。
チンターマニ、つまりは宝珠を握った竜なら、さして珍しいものではない。
ウェナ諸島でいえばラーディス王島のキングリザード、他にカイザードラゴンをはじめとし、伝承の中にも類する存在が多々見受けられる。
翼はともかくとして、それらは総じてガッシリとした脚を持ち、アストルティアの民に近い体躯なのだ。
しかし、皿に描かれていた竜は蛇のような長い身体に細く短い脚、いわゆるエルトナ調の竜だった。
『金色の頭骨、その封印の道行きを辿る。そうすれば、夢幻郷への扉は現れる。問題は鍵。竜の巫女?末裔?』
手帳に挟まれていたメモに見た、『竜』という言葉が頭をよぎる。
それは単純に、刺身という食文化がエルトナ伝来であるという単純な理由かもしれない。
しかしきっと、この不一致の裏側には何かがある。
「お~い…ユクさ~ん………?」
膨満感を胸の高鳴りで塗り潰し、じにー達を置き去りにオルカンの座す村長宅へと走るユクなのであった。 続く