マージンのマイタウン、その中でも一番広い2番地に建つ邸宅の主寝室は、今や戦場と化していた。
「お父さん、よろしいですか!?」
「「ハイッ!!!」」
ガチャっと扉が開き、エテーネの村より招いた助産師の声がかかった途端、廊下にしつらえた長椅子からバネに弾かれたように飛び上がる影が二つ。
「…ええっ!?」
母の血か、すっかりマージンの背を軽く抜くほどに成長したハクトは、何故だか自分とともにニョキッと並び立った父に驚きを禁じ得ない。
鼻下に立派な髭をたくわえ、目もとにいくつかシワも刻まれたマージンなれど、未だ現役、勿論まだまだ呆ける年齢ではないだろう。
「お前じゃねぇ、座ってろ」
深い深いため息を吐きながら、そのまた隣に座るエルフがぐいとマージンの腕を引く。
「まったく、ハクト君の落ち着きようを少しは見倣ったらどうだ?」
今日も今日とて、フツキは対マージンのツッコミ要員としての職務を淡々とこなす。
エルフの特性故か、フツキの顔はマージンと初めて出会った頃から年数の経過を感じさせないが、逆に年齢相応の渋みが出ないのが本人は悩みのタネらしく、トレードマークのサイバーなゴーグルの縁は、べっ甲を思わせる重厚なカラーに塗られていた。
何にせよ、いくつ歳と年を重ねようとも、残念ながら未だ相棒という名の腐れ縁は続いている。
「…あれでハクトも緊張してるのよ」
「ほう?」
流石は母の目、フツキからは至って普段通りに見えたハクトであったが、手入れの行き届き、つまずく要素のない廊下でつんのめりながら寝室へと消える。
「それにしても…ふふっ、ハクトが生まれた時もこうだったのかしら?」
ハクトの背がすっかり見えなくなったあとも、結局座らずぐるぐると廊下で円を描く夫の姿をティードはニヤニヤと眺めた。
マージンは人、ティードはオーガ。
このアストルティアにおいて、異なる種族での婚姻は、ほとんど例を見ない。
何故ならば、同じ蒼天の下に住まい、言葉を等しくしながらも、そこには生物学的にとても大きな隔たりがあるのだ。
だが、出逢ってしまったからには、胸の奥がトクンと響いてしまったからには、もうその瞬間、クエストは始まってしまうのだから、どうしようもない。
やがて幸運にもハクトを授かるも、そこからがまた困難の連続で、特にあの日は、マージンの様子を気にとめる余裕など、とても無かった。
何十年か越しに答え合わせをしているようで、微笑ましい。
そしてマージンと同じく、当たり前ながら実はティードもまた、内心、気が気ではなかった。
自分とマージンは恵まれた。
だが、生まれながらにして人とオーガの血を併せ持つ異端であるハクトはどうなる?
言葉を選ばぬならば、自分達がしたことは、呪いを先送りにしただけなのではないか?
それも、他ならぬ最愛の息子に、である。
…いつしか、マージンは普段は首に巻くギンガムマフラーを解きぎゅっと握りしめ、ティードもフツキもまた、祈る気持ちでその時を静かに待つ。
3人の間に、どれだけ、重苦しい沈黙が流れたことか。
不意に響き渡るは、夜明けを告げるような、何よりも気高い勝鬨のような、それでいて、たまらず抱き締めたくなる愛おしさを併せ持つ、奇跡が形となった声。
ハクトはいち早く我が子を抱き、その顔を瞳に焼き付けたいというのに、溢れる涙で視界が滲んでかなわない。
せめて指先で、シャボン玉を扱うようにそっと顔に触れた。
天に向かい少しだけ角度の急な角は、愛しい妻に似る。
頬の丸みは自分譲りだろうか。
早くも親バカを遺憾無く発揮しながら、嗚咽混じりに初めての言葉を投げかける。
「…ようこそ、アストルティアへ」
~Happy Birthday~