俯き加減だったその面がキッと持ち上がった次の瞬間には、たてがみのような雄々しい白髪が、災厄の王の眷属の眼前で怒気に揺らめいている。
「「弱い弱いと…我が妹を愚弄するのは大概にしろ!!!この雑魚が!!!」」
いなりと凛、二人の姉の怒りの声が、妹の喉を借りて迸る。
「……!!?」
雷が間近に落ちたような轟音が己の内から鳴り響いているのだと気付いた時には、棍が右脇腹から肋骨を割り砕き、肺を突き抜け背骨を圧し折り、心の臓腑を破裂させる程に深く深くめり込んでいた。
ここ最近は、かげろうの剣に見惚れて転向した二刀の道を更に極めるべく、努めて使うまいと封印している一刀の居合。
かげろうをして感嘆せしめる、いなりの生来磨いてきた技である。
握るが刃なき棍であれ、その威力は絶大だ。
そして、紛れもない事実として。
如何にいなりの意識を借りようと、彼我の距離を一息に詰め、鋼のような筋肉を穿ってその奥深くまで棍を打ち込めたのは、その身に刻まれた血反吐を吐くような鍛錬が故である。
敢え無く絶命した災厄の王の眷属は、バケツをぶちまけたかのように血を吐いて白目を剥き、ずずんと地に倒れ伏す。
「…え?いったい…何が…」
地響きに意識を取り戻せば、目の前には仇の亡骸が転がっており、困惑する他ない。
黒い灰の塊となり、やがて風に散っていく様を追って空を見上げれば、淀んだ大気の中の僅かな晴れ間にほんの一瞬、懐かしい姉の姿と、それに重なるようにして、見ず知らずの眼帯をつけた剣士の幻影が垣間見えたという。
こちらを見上げ、はっと目を見開いた妹の姿は、次第に遠ざかっていく。
災厄の王の眷属は、今その一体を退けたとて、未だ無数に存在し、更にはこの瞬間にも新たに生みだされていることだろう。
……この先のヤマカミヌに、希望はない。
それでも勝手ながら、幸あらんことを願う。
戦いしか知らぬこの不器用な姉を、誇りだと言ってくれた大切な貴女だから。
そうして奇妙な夢は、終わりを告げた。
「………………何か……変な夢を見たような……」
目覚めればその内容はまさしく夢幻の如く、いなりが思い出そうとしても、霧がかかったようにはっきりとしない。
「う~ん……?」
ふと左手を見れば、いつの間にやら、タケトラから譲り受けた飾り布をしかと握り締めていた。
眠りにつくときには、確かに枕もとの漆塗りの桐箱におさまっていたはずなのだが……
色々腑に落ちない所であるが、今日はこの飾り布をコウリン王の墓に添えるべく、かげろうと出掛ける予定が入っている。
着替えを済ませて顔を洗いに水場へ向かう道すがら、オスシとヤマの顔を見るなり、当たり前なのだが二人の無事な姿に何故だか涙が溢れて、余計な心配をさせてしまった。
しかしそんな混乱も束の間のこと、かげろうが迎えに来る頃には、そも夢を見たという記憶自体、意識の隅に追いやられ薄れていく。
はたして凛に家族がいたのかどうか、幼き日のかげろうの愛読書にも記載は無く、なにぶん、口伝すらろくに残らぬ古の話ゆえ、定かではない。
しかし、修繕にあたった武器屋のズイによれば、破損した状態で保管されていた凛の槍の柄には、棍として扱えるよう改修を施した痕跡が残っていたと記録されている。
ゴフェル計画にて取り残された、いや、未来のアストルティアの為に礎となった者たちが、最後まで誇らしく滅びに抗った証は、今も確かにこのアストルティアに息づいているのだ。
~完~