「よ~し、錨をおろせ!」
「あいあい~船長!」
よいしょっとピッピンコが背伸びして掴んだレバーを下げれば、ジャラジャラと金属の擦れる音を立てて錨が滑り落ちた後、何故だか除夜の鐘のような鈍い音が海中で響き渡った。
「………………何や、ええ音したなぁ?民間の潜水艇でも潜っとんたんかいな?いやいや、ないない」
ピッピンコの咄嗟の出任せは海中で起こった事故を見事に言い当てていたのだが、事実は小説より奇なりといえど、まさかそのものズバリの荒唐無稽な事態が巻き起こっているなんて知る由もない。
互いにまこと不運であったと言う他なかろう。
この先のガテリア号が辿る珍道中はさておき、ココラタからレンドアまでの航路を正規スタッフも顔負けに勤め上げ、お前も正規の乗組員にならないかという甘い誘惑を振り切って、ピッピンコは大地に降り立つ。「揺れない床が新鮮やなぁ~」
しばしフラダンスのステップで三半規管を落ち着かせ、懐かしの我が家へ向けレンドア駅のホームへ続く階段を登るピッピンコの鼻を、ふと甘い香りがくすぐった。
「ほぉ~?」
手繰り寄せられるように進んだ先、ホームの端に鎮座するは、エルトナ大陸の真ん中あたり、チリュウを発祥とする銘菓の出張屋台であった。
「おおあんまき?」
小麦粉の生地にあんこ。
構成要素を聞けば、呼び方がしばし論争の種となるあのお菓子が浮かぶが、これは薄く四角に伸ばした生地で海苔巻きの如く餡を巻いた、まるで見目も異なるものである。
時間も帰宅する頃にはちょうどお誂え向きにおやつどき、顎に人差し指をあて、既に買うかどうかでなくどれにするかに思考は及んでいる。
「あずきにカスタード…白あんもええな。抹茶あんはツスクルの茶葉使用、と。これもそそるやないの。あとは……天ぷら!?そんなものまで!?意外とふところが深いんやな~」
オーソドックスな流れから突然顔を出した暴力的なまでのカロリーの塊に度肝を抜かれつつ、お土産として準備中だったカスタード以外を1本ずつ買い求め、大地の箱舟に飛び乗るピッピンコなのであった。
「そろそろ遊びに来とると思たんや~」
働き盛りのピッピンコであるが、流石に天ぷらまでも含む4本の大あんまきを一人で平らげるほどに健啖ではない。
他の3本は、今日も今日とて、『ずっきんこ!』と出どころの分からぬ異音とともに、お庭で仲良く体育座りで佇むちょっと愉快で不思議な隣人、きんこ星人たちの分である。
「これは!このまるみとながさ、かせいじんのくちだな!?」
ずっきんこがその手に掴み、本日の釣果とばかりにぱぱーんと掲げ上げるは、コズミックと言えないこともない鮮緑の抹茶あん。
てっきりずっきんこは天ぷらを選ぶかと思っていたが、これはこれで、らしいといえばらしいチョイスである。
「いやいやタコさんの口ちゃいますよって。ささ、お茶の時間にしよやないの」
近所付き合いと子どもの世話を腐れ縁で良い塩梅に漬け込んだような間柄なれど客は客、勝手場で熱々の緑茶を用意する間にそっきんこらにも好きなものを選ばせ、ピッピンコは残りものにあずかる。
原初とも呼ぶべきあずきが残っていた僥倖に顔をほころばせ、まむっと一口。
「ほぅほぅ!」
艶めいた狸色の生地は求肥のようにしっかりとした歯応えと弾力で顎を楽しませ、固くなってしまうギリギリ手前までこんがり焼かれた表面の香ばしさは、しっとりと炊かれた粒あんと絶妙なハーモニーを奏でる。
やおら緑茶をずずっと口に含めば、舌に鎮座する大あんまきの甘い残像が爽やかな苦みと共に吹き抜けて、夕立のあとの晴れ間のような清々しさが広がった。
ほうっと一息ついて、客人の方を見やる。
端を咥えてブルンブルンさせているずっきんこに対し、こちらもまた恵方巻きと勘違いしてか、そっきんことどっきんこは南南東に向かい正座して、まくまくと口に詰め込んでいた。
「…いや一息に食べんでもええんやで?」
特に天ぷらをチョイスしたそっきんこはかなり苦しそうだ。
背中をさすってやりながら、懐かしい日常の空気を存分に満喫するピッピンコなのであった。
~完~