だがそれでいい。
距離を取り生まれた間に、イズミはすっかり砂浜に沈むユクを引き起こす。
「誰が名付けたか、得意技の通りにその名はタイガークロー。何とも捻りの無い名前でしょ?」
タイガークローがタイガークロー。
確かに、モリナラ大森林の気温を下げるあの特徴的な含み笑いが聞こえてきそうな、呆れたネーミングセンスである。
「ところで、さ」
ユクを立たせると、ギラリと鋭い視線をタイガークローに向ける。
「あの魔物の履いてるブーメランパンツ、どこのブランドなんだろうね?モンスターたちの服飾事情、一枚噛めたら良い商売になると思わない?」
「……そんなこと言っとる場合か~~~ッ!?」
ユクが固唾を飲む程の、至って真剣な横顔から飛び出したるは、この場の打開策でも何でもなかった。
「いついかなる時も商売気を絶やすべからずってね……っとぉ!?」
咄嗟に飛び退ったところを、タイガークローが爪を突き出し駆け抜ける。
勢い止まらず波打ち際を遥か踏み抜いて、巻き上げられた海水がユクとイズミに降り注ぐ。
「ずぶ濡れじゃん。やってくれたなぁ、もう」
海水を滴らせ、乱れた前髪をかきあげる指の隙間から覗く瞳は、眼前の獲物を狩ると決めたキラーパンサーの如く殺気をはらみ、味方であるユクすら危うく気圧されかけた。
しかしイズミが駆け出すよりも前には、水着姿であれ変わらず身に付けるポーチから『力』のタロットを手繰り寄せ、その殺意にさらなる威を与えた。
研ぎ澄まされた感覚、ユクの補助、加えて何よりもイズミがタイガークローと互角に渡り合えている要因は、『嘘』である。
なまじ、タイガークローが優れた動体視力を持つ故に、目線、踏み込み、手首のスナップ、イズミが織り交ぜる偽の攻撃の起こりに思う様翻弄され、幾度も隙が生まれる。
そこを余さずユクの『戦車』や『隠者』が奔ることで、ようやく綱渡りのように危うい均衡が保たれていた。
しかし当然、生物的ポテンシャルの違いを前に、長くは続かない。
バチッとひときわ大きく音鳴らし爪と鞭がぶつかり火花が散って、イズミが蹌踉めき後退る。
タイガークローはたまらず愉悦にあぎとを歪めた。
……それもまた、嘘であるとも知らずに。
これまでの鬱憤を晴らすように、爪を大きく振りかぶる。
同時に腰を深く沈みこませた、独特な構えから繰り出される絶技を、ユクは知っている。
「まずいっ!ライガークラッシュ!?」
流石にその連撃は、イズミには捌ききれまい。
しかし『隠者』は品切れ、『戦車』はイズミが射線に入っている。
巻き込んでしまう『死神』や『塔』は論外である。
『魔術師』、『教皇』、『女帝』……手繰り寄せるべきアルカナを見失い、為す術もないユクの眼前で、しかしイズミはにやりと笑うのだ。
蹌踉めき、後退ってみせたのは、揺るがぬほど深く軸足を踏み沈めるため。
そして、ライガークラッシュを誘ったのは、力を溜める時間を稼ぐため。
下拵えは存分に整い、あとは見事に嘘にかかった獲物を、喰らい尽くすのみである。
「双竜に重ねて極竜、転じて『地這い大蛇』!!」
それは継承の途絶えた鞭の絶技を、イズミなりに各地の口伝を拾って蘇らせたスペシャリテ。
束ねた鞭打はまるで一匹の大蛇であるかのように見る者を謀り、砂浜をのたうつようにタイガークローへ迫る。
ここへ来てようやく、タイガークローはあえて大技を出すことを誘われたのだと気付くが、もう遅い。
かくなる上は己の技でもって真っ向食い破る他に道はないが、大蛇の姿はまやかしであれ、その威は本物である。
僅かな拮抗にすら至れずに爪撃は弾かれ、幾重にもタイガークローの身体を鞭が打ち据える。
肩は外れ、折れた肋は数しれず。
両足が動かせるのは奇跡だ。
全力で駆け出すタイガークローであったが、その首にしゅるりと鞭が絡みつく。
「こらこら、こんな美人を袖にする気かい?」
逃走を図っていたタイガークローは時間が巻き戻るようにイズミのもとへと手繰り寄せられた。
遥かに自身を上回る体躯を造作もなく後ろから抱き止めるも、熱い抱擁は一瞬で終わりを告げる。
いつの間に滑り込ませたのか、ゆっくりと倒れ込むタイガークローの背中から、ズルリとこあくまのナイフが引き抜かれた。
逃げ出さず真っ当に戦いを続けていれば、あるいは勝ち筋もあったかもしれない。
しかしながらタイガークローはやはり武人ではなく、モンスターであったのだ。
~続く~