「……率直に聞きます。勇者の盟友から依頼を受け、彼らとともに我が父ゼルドラドを倒したかげろうとは、貴女ですね?」
深い薔薇色の2本の角を隠しもせず、黒い結膜に金が浮かぶ、満月の夜のような瞳を真っ直ぐに向けられ、いなりは瞠目した。
自分の代わりに客人の応対をしてほしい。
数日前、晩酌の折にふらりと溢れた言葉に頷きはしたが、まさか客人が魔族であるとは聞いていない。
「失礼、順を間違えました。私はジルドラーナと申します」
話の順序の前にもっと気付いてもらいたい間違いがあるのだがそれはともかくとして、無礼はお互い様、いなりは相手をつぶさに観察した。
見たところは自分と同じ、いやほんの少し年上といったところか。
しかし魔族であることを考えると、恐らくは見た目以上の永きにわたり、研鑽を積んでいるのだろう。
肌の色と同じラベンダーの軽鎧。
籠手は簡素に、肘や手首の動きを損なわない造り。
腰に下げたブロードソードは鞘に収まったままでも手入れが行き届いているのがよく分かる。
清々しいほどに万全の戦支度を済ませて、いざ父の仇に逢いに来たというわけだ。
今更、私はあの飲んだくれのろくでなしに人身御供にされた哀れな女で、あなたのお父上とは無関係なんです、と正直に打ち明けたところで引き下がりはするまい。
「この空間から抜ける術は、私を倒す他ありません。手加減は無用……殺す気でどうぞ。無論、私も全身全霊をかけて戦わせていただきます……」
屋敷の軒下から問答無用でこの異空間に引き摺りこんだことからも、それは明らかだ。
つい一瞬前まで、カミハルムイで陽光を浴びていたのが信じられないほどの落差、今いなりとジルドラーナは、果ての見えぬ虚空に浮かぶ、荒れた岩場の上で向かい合っていた。
「……しッ!」
腰に下げた二振りの刀、既に鯉口は切っていた。
崖を駆け上がるカムシカの如く蹴り足を伸ばしきり、地面擦れ擦れを比喩でなく飛び抜ける。
あっという間にジルドラーナの目前、天下無双の6連撃を解き放つ。
……疾い。
思ったよりは。
刃の厚み、渡りからして、いなりの刀の3から4倍は重たいであろうブロードソードを引き抜くと、ジルドラーナはいなりの初手を冷静に受けきった。
「せい…っ!!」
連撃が6までとふみ、最後を受けると、それまで寝かせ盾としていた剣を立て、腰溜めに引き込んでから胴を割らんと天に目掛け斬り上げる。
相手の得物は片刃の曲刀、切断に特化し、受けるには向かない。
反撃は空を切ったが、予想の通り回避に転じ、再び跳ねて下がるその身に追いすがる。
鼻をくすぐる、伽羅の香り。
父の散った戦場にも僅かに残されていたと聞いたその香りを掻き分けて、間合いに捉える。
……実にわかりやすい。
退いてみせれば、追ってくると思った。
跳躍の向きは問わず、その勢いは余す所なく刀に乗せられる。
いなりは更に一回転の捻りを加えた横薙ぎで、ジルドラーナを迎え討つ。
真っ向ぶつかり合った結果は記すまでもなく、反撃、いや、迎撃を予測していなかったジルドラーナが大きく体勢を崩すこととなる。
絶好の機であったがしかし、突如膨れ上がったジルドラーナの魔力を前に、いなりは追撃を断念した。
術中にはまった恥を隠すように顔を覆った掌、その隙間から覗く瞳には、いなりの一手を見抜けなかった己の未熟さへの怒りが滲む。
「……それでこそ、です」
その声音は中程から低くなり、深みが増した。
足となく肩となく、ジルドラーナの身体のそこかしこがぼこぼこと膨れ上がる。
「初めから全力を尽くさなかった慢心をお許し下さい。そしてやはり、父と同じこの姿が仇討ちには相応しい」
剣魔、顕現。
変化は一瞬であった。
もとより身に着けていた鎧に似た色の生体装甲に全身を覆い、そこかしこから黒々とした角と爪を生やし、すっかり鬼と化したジルドラーナの姿がそこに在った。
続く