月曜深夜は、無料雑談「チャルメラ担々亭」へ。
今回、着目したいのはスープ釜。
担々亭は、厨房にスープ釜があって、ラーメン用の出汁を煮込んでます。
このスープ釜に、たいてい誰か入ってる。
昔は、グレが入ってるくらいだったけど、今や定番スポット。
(↓スープ釜だいすき出汁シャーク)
なんでみんな、わざわざスープに入りたがるんですかね?
その心理を、3つの観点から考察してみました。
◆ ◆ ◆
1、禁じられた不可能行為の疑似体験心理
現実世界で、ラーメン屋の寸胴に入ったら火傷するから「不可能なこと」です。
あと、倫理的、法的、衛生的な観点から「ダメなこと」でもあります。
「不可能なこと」を疑似的に体験する遊びは、多くの人にとって子供の頃からおなじみ。
公園の器具を秘密基地に見立てたり、段ボールを船に床をマグマに見立てたりとかですね。
「ダメなこと」をしたいのは、日常的制約の逸脱による快楽として、広く認知された欲求です。
代償行為として、SMクラブ、激辛料理、ゾンビゲーム、バンジージャンプなどが有名。
スープ釜に入る行為は、「不可能なこと」、「ダメなこと」を実現する、疑似体験遊戯と言えます。
2、ギミック装置が生み出すロールプレイ心理
ドラクエ内のスープ釜は、ただのポリゴンデータでしかありません。
でも、もともと人間って、見た目から単なる形や色以上の意味を与えたがる傾向がありますよね。
たとえば、教会の天井画やステンドグラスは、単なる装飾じゃなく、神聖性を強化するイメージ装置としても用いられます。
無機物に、目を2つ描けば、人格を持っているように錯覚するのも同じ心理です。
スープ釜のポリゴンも同じく、人はその見た目から、「熱い」、「スープ」、「禍々しい」、また担々亭にあることから「出汁をとっている」といった要素を感じ取り、共有イメージを持つギミック装置として認識するのです。
たとえば、「スープに入ってるから自分は出汁」とか、「あの出汁が入ったラーメンを供されているのね(オエエエ)」とかですね。
さらに発展させて、ドレアを毒毒しい色にすることでの毒散布イメージだとか、複数人で入ることによる合わせ出汁といったロールプレイも成立し、イメージを膨らませることで雑談の題材として機能しているわけです。
たとえば、出汁役がスープの中で「おしっこしちゃった☆」と言えば、ちゃんとそのイメージが他の客に伝播します。(オエエエ)
3、イベントにおける明確な役割の確立心理
スープ釜に入ることで、そのプレイヤーには「出汁」という役割が与えられます。
ぽりたんも入ってたことありますが、これとってもラクチンなんです。
社会心理学でいう「役割理論」というやつで、特定の役割が与えられた人は、積極的にコミュニケーションしなくても、コミュニティ内での立場を確立できるわけですね。
しかも、スープ釜は厨房側にあるので、ややホスト側として確立できるのです。
つまり、カウンター席のお客が無言だと空気になりがちなのとは対象的に、出汁は何もしてなくても出汁であり、たまに何かしゃべっとけばプラス加点みたいな気楽さがあります。
雑イベで、自分から話すのが苦手な人ほど、いっぺん入ってみるといいかもです。
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ということで
なぜみんな、担々亭のスープ釜に入りたがるのかを考察してみました。
たぶんたんたんは、気ままにラーメン屋っぽい家具をぽこぽこ置いただけでしょう。
でも、お客たちは、その細部に意味を見出し、ギミックを引き出して、新たなロールプレイが発信され、それを見た誰かがさらに応用するという化学反応が生まれているわけです。
そのうち、「担々亭といえば、誰かがスープ釜に入ってる」っていう認識が定着して繰り返されるうちに、それは「様式美」となり、「文化」へと昇華していきます。
野球やアイドルの観客応援フォーマットにしろ、地域のお祭りの伝統だって、そうやって定着していくものよね。
家具ひとつから生まれる文化に思いを馳せて、スープ釜を眺めた月曜深夜でした。
ただの、バイトテロごっこ?
うん、そうとも言う。