これから少しリアル旅行に出ます。
出発前に、海についての不思議な出来事を日誌に書き記しました。
ゴブル砂漠西の海は、いつ見ても穏やかだ。
だが、この日だけは何かが違って見えた。
光が水面に散り、ゆらり揺れながら胸の奥に染み込んでくるようだった。
釣り大会三日目。
わしは、昨日の敗北(釣果ゼロ)を取り返すため、
再び桟橋に立っておった。
海風がふわりと吹き、髪を揺らす。
まるで“今日こそ来い”と言われているようじゃった。
「ロトさん、今日こそ釣ってね!」
「昨日の謎の光、なんだったんだろうね!」
チムメンたちが楽しそうに笑う。
わしは胸を張って言い返した。
「見とれ。今日は大魔王が本気を出す。」
そう言いつつ、内心はちょっと不安じゃった。
昨日見た、海の奥で揺れた青い光。
あれが魚だったのか、それ以外の何かなのか。
思い返すたびに胸がざわつく。
だが、不思議と“怖さ”はなかった。
……むしろ、懐かしさに近かった。
浮きが揺れ、波が静かに寄せては返す。
潮のにおいが深くなり、肩に落ちた海風が冷たくて心地よい。
わしは竿を構え、静かに息を吸った。
──その瞬間、浮きが消えた。
「来た……!」
竿がぐん、と引かれ、腕が一気に持っていかれた。
まるで海そのものが引っ張っておるような力。
釣りというより、戦いというより……
“呼ばれている”感覚だった。
リールを回すたびに、腕が震える。
周囲の釣り人たちが次々声を上げた。
「ロトさん!デカいよ!」
「それ絶対とと丸じゃないよ!」
「落ちないでね!!」
わしは言い返す余裕もなく、ただ必死に竿を握る。
青い光が水面を横切り、
次の瞬間――
海が、わしを引き寄せた。
体が宙に浮き、そのまま真っ逆さまに水の中へ。
耳に届くのは、どこか遠くなる皆の叫び声。
けれど、落ちた瞬間。
冷たさも、恐怖も、なかった。
そこは青く、静かで……
まるで最初からここにいたかのように、息が自然にできた。
光が漂い、無数の泡が上へ昇っていく。
音はすべて消え、胸の鼓動だけがゆっくり響いておる。
やがて、薄い光の中から白い影が現れた。
人のようで、人ではない。
海の揺らぎそのものが形を成したような姿。
声は出していないのに、言葉が胸へ届いた。
──「帰る時が来たんだね。」
心臓が跳ねた。
懐かしい。
ずっと昔、どこかで会った気がする。
影が手を伸ばした瞬間、
身体がふっと軽くなった。
髪が水に溶けるように流れ、光を反射する。
視界の端で何かが揺れた。
それは――青い鱗のような、淡い光。
「……わしは、一体……」
問いは最後まで言えなかった。
光に包まれ、世界が音も色もなく白く染まった。
──気づいたとき、砂浜に倒れていた。
潮騒が近く、空が眩しい。
遠くでチムメンの声が聞こえる。
「ロトさん!大丈夫!?」
「海に落ちたの見えたよ!!」
ゆっくり身体を起こしたわしを見て、
皆が目を丸くした。
「……ロトさん!?
なんか……今日すごく涼しげっていうか……背が伸びてない!?
ていうか色!! えっ、えぇ!?」
わしは一瞬だけ息を呑んだ。
肩に落ちる髪が、太陽の光でほのかに青く輝いた。
水を吸い込んだように軽く揺れる。
肌もどこか、海の色を帯びている。
だが、わしはただ笑った。
「海に堕ちたら、少し洗われたようじゃ。」
みんなの驚きと笑い声が、波より温かかった。
手のひらに何かを感じて見下ろすと、
そこには青い貝殻が握られていた。
耳に当てると、潮騒の奥から優しい声がした。
──「これからは、潮の流れのままに。」
わしは貝を胸にしまい、立ち上がった。
海風が吹き、髪がふわりと揺れる。
世界は、少しだけ青く見えた。
そして今日、わしは確信した。
これはただの“釣り大会の日誌”ではない。
ただの“海に落ちた大魔王”でもない。
ここは、新しいわしが始まる場所なのだと。
潮のにおいがする。
静かで、深くて、やさしいにおいだ。
──大魔王ロトシオン、海より復帰。
次に会うときのわしは、きっともう、
以前とは違う色をしておるじゃろう。