Ver1.の時代を覚えているものは幸せである。心豊かであろうから。
冒険者はその記憶を記されて、このアストルティアに生まれてきたにも関わらず、前Ver.を体験することのできない性を持たされたから。
それ故に、ドワーフの語る次の物語を伝えよう
(バイストンなっちゃら風)
古いアルバムの中に、思い出がおっぱ、、いっぱい。
写真を整理していて、懐かしく思い出しました。
(ウソみたいだろ。ドレスアップじゃないんだぜ…)
見よ、この装備という概念の皆無性…
パッシブっておいしいの?耐性なにそれ?が普通だったVer1.の初期。
何も知らないからこその、楽しさ。
僧侶なしで、アロエおにをZまで呼び出して、収拾がつかず砂漠の塵と化しても、笑っていられた頃である。
何も知らない。無知なることはゲームにとって、最も大切な演出なのかもしれない。
これは人生と同じではなかろうか?
子どもの頃は世の中を分からず、その日を無邪気に暮らしている。
やがて人への気遣いを知り、人に好かれることを願い、明日の事に思いを馳せ、計画して生きることを考える。
どちらが正否ではない。
ただ、楽しいことの方向性は、歩みにより変わってくると思います。
(強さが何かを知れば、世界のどこでも裸で戦闘ができてしまう。)
何も知らないからこそ、効率や時間にとらわれない遊びが可能であり、
知識を得たからこそ、成長を計画した遊びが可能となる。
新コンテンツ「不思議の魔塔」が、その答えの一つになるのだろうか。
(まだやってないけどw、ってか、、、疲れてインできないw)
時々、思います。
攻略本とか攻略サイトが無かったら、この世界はどうなるのだろう?と。
知らない世界が待ってるはずのVer3.1。
価値観が崩れるくらいの、「何か」があればと期待してしまいます。