1986年5月27日にドラゴンクエストは誕生しました。
本日はその30周年目。心よりお祝い申し上げます。
私にとってのドラゴンクエストとは、いわば私にアイデンティティの1つを与えてくれた存在だと思っています!
私が初めてドラゴンクエストというのを目にしたのは、従兄弟のプレイするDQ2でした。プレイはしておらず、よく分からなかったものの、聞こえてくる戦闘音楽がよかったという思い出があります。
その後、ドラゴンクエストを題材にしたマンガ「ダイの大冒険」でそのバトルの雰囲気に魅了されたり、友人のプレイする「トルネコの大冒険」を見て、アイテムの魅力に楽しさを感じたりしました。
そして、ある時期、プレイするゲームがなく、何か新しい感覚を得ようと思って、手を出したのがスーパーファミコン版の「ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ」でした。
別のRPGは経験済みで、ではドラゴンクエストはどうなのかという感じでしたが、それらを越える要素に引き込まれていきました。
ちなみに、ゲームだけなく、他のことも含めて、ほとんどの開始のきっかけは周囲の人間の勧めによるところが大きかったですが、ドラゴンクエストだけは、他人のプレイや宣伝等は見ていたとはいえ、直接人の勧められて始めたのではなく、自分自身の意志で始めたゲームであることは大きいです。
後にドラゴンクエストは、中性風ドラゴンボールを目指した側面もあるということを聞きますが、ドラゴンボールが好きだった私にとって、それを知った時はどこか嬉しかったです。
DQ1から始め、その後は2→5とプレイし、ついにDQ6が発売されました。実は受験直前の時期に発売されたのですが、我慢できずに購入。受験の直前中の直前はプレイ時間を減らしましたが、購入直後の休日は勉強せずにプレイに没頭した時もありました。
なお、受験結果は少し前のDQ生誕30周年記念日誌第2弾に記しました。
このDQ6では、私の町で一番DQが凄いと噂された人を出し抜き、エニックスの情報公開前に様々な「発見」をしました。「発見」がテーマのDQ6でしたが、この成果がきっかけとなって、ドラゴンクエストはいつしか私のライフワークの1つとなったのでした。
私はRPGのストーリーというのは、開発者が予め敷いたレールの上を歩くのではなく、自ら紡ぎあげるものだと思っています。それゆえ、DQ1、3、6等の中盤は好きです。必要なアイテムを得る過程は自分で決めてよいという自由度が好きです。
また、クリア後にも、自ら目標を決めて楽しめる余地があるのもよいです。
そう思っているので、特に提案広場等で目立つ「やることない」「スカスカ」という批判を見ると、本当にDQを楽しんでいるのか疑問に感じます。
ドラゴンクエスト世界に存在する全ての物は世界の構成要素であり、1つでも欠ければそれはDQではなくなります。構成要素に不要物は存在しません。
そのため、私は以下のような人が時々「自分はDQ好きです」とか言うと、ある意味冒涜に感じることもあります。
・レベル上げに非効率的な通常モンスターを不要という者
・効果の似た2種の呪文・特技を比較して片方を不要という者
・攻略情報でほとんど掲載されない職を不要という者
少々批判的な表現が増えてきたので、話を戻します。
色々思うところがありますが、DQは、シナリオ攻略、モンスター討伐、レベル上げ、レアアイテム集め、仲間モンスター自慢、おしゃれ活動、ハウジング、カジノ、その他、全てをひっくるめて、ドラゴンクエストなのだと私は思っています。これら全てを大事に思っていきたいです。
30周年記念日誌第4弾にて
「自宅で栽培したバラとユリで染色したゴスロリ衣装を着た少女が、クローバーの乗り物に乗って、ゴーレム討伐に行く場面を、30年前に初めてゴーレムを見た冒険者は想像できたのでしょうか?」と記しましたが、私たちの想像を超えた進化を、ドラゴンクエストがこれからもしていくのを楽しみにしています!
今後もよろしくお願いします。