②からの続きです。序盤の思い出を記します。
なお、①と②の写真のいくつかは今夜消える予定なのでお早めに。
ウェディで開始して、ジュレー島下層でぐんたいガニに瀕死の重傷を負わされ、命辛々移動してジュレットに着きました。実は昔は初期村ボス討伐後から別れるまでずっといてくれるサポート仲間がいなかったので、フレンドの都合が合うか、通りすがりのプレイヤーを捕まえない限りは1人のままです。
レベルを上げようにも敵が強くてなかなか倒せず、ルーラストーンをジュレットに設定して、命辛々またぐんたいガニから逃げながら、自分のレベルに合うエリアに行きました。他大陸に行くという手もありましたが、大陸間鉄道は最初、1回の乗車賃が100ゴールドで、それを稼ぐのも序盤はきつい感じでした。
大変ではありましたが、長くプレイしていくのだから、別に時間はかかっても大丈夫と思いました。
ドラクエ10の初代ディレクターはドラクエのオンライン化に激しく反発したようですが、「それならお前の納得いくオンラインにすれば良い」という意見に触発されて開発に取り掛かったそうです。ドラクエ10がオンラインで発売ということに反発したユーザーは少なくなかったようですが、逆にそうした立場で開発されたからこそ、「ドラクエ」というネームバリューだけでプレイヤーの参加を促したとは言い難いです。
序盤は確かに苦労しましたが、その開発方針から嫌気は感じず、ゆっくり着実に進めようと思いました。
ウェディから始めた私はキャット・リベリオから倒さないといけないのかと思い、各地を回りながら、経験値やフレンドを得て行きました。瀕死で走り回る人にホイミを唱えたことがきっかけでフレンドになることもありました。
レベルが上げにくい仕様は逆に「◯◯さんは武闘家」という感じで、その道のプロとして尊敬できて楽しかったです。昨今の「テンプレはマナー」みたいな感じの画一化の強要とは異なる自由がありました。
また、手紙を活用したプレイヤーイベントも開催していました。今は仲間モンスターもバトエンもありますが、当時はどちらもありませんでした。そのイベントでは「ペットにしたいモンスター」を尋ね、その返答にあったモンスターのえんぴつを私がリアルにて転がし、そのコマンドから想像できる行動や生活を逐一報告するという企画をやっていました。あまり人気はなかったですが。
オンラインゲーム自体は私はドラクエ10が初だったので、最初のバージョン1.1のときのアップデートは驚きでした。住宅村の初実装でした。ハウジングは限定家具がほとんどない分、家具の処分と再入手がやりやすく、模様替えは頻繁でした。
なお、冥王ネルゲルは開始から3ヶ月後に倒しました。
ドラゴンクエスト10 8周年の思い出④に続く