※この日誌は、蒼天のソウラ二次創作です。
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全身が総毛立つ感覚を襲った。
それはどこまでもどす黒く、どうしようもなく哀れで、不快で刺々しく血生臭い、人間の残骸と妄念の成れの果て。
"私達が"幾度となく対峙し、向き合ってきた、人間の悪意。
それを、なぜ、お前が持っている?
「アザミっ…!」
閃光弾によって合図を出してから、ウェリナード軍の猛攻によってアザミが追い込まれ、傷つき、そして倒れ込んだ姿をリンドウは木の影に隠れて確かに見ていた。
念には念を入れて確実に潰すために、魔女を討つ常套手段を以て、アザミを仕留めるつもりだった。そしてそれは想定通りに進める事ができた。そうして最後の一発。放たれた砲弾の直撃によって、アザミの絶命は確認されるはず…だった。
けれども砲弾はアザミに届く事はなく、むしろアザミの元から発せられた何かしらのエネルギーによって弾かれ、そして空中で爆発した。その瞬間、リンドウは悪意の魔導書によって散々思い知っていた、悪意に満ちたどす黒いエネルギーを感じ取ったのだ。
正直なところ、アザミの用意周到さの前には、どれほど慎重を重ねても足りない。いつだってこちらの予想を超えてきた。
けれども、まさか。ソレに手を出すのか…!
「アザミ…お前…っ!」
「…リンドウ…。」
屍のように動かなくなっていたアザミは、携えていたグリモワの力…再起動の魔術によって、間一髪意識を繋ぎ直すことができた。術者の信号が途切れるとグリモワが自動的に魔術を行使し、回復や防御などで隙を埋めるものだ。
だが、その魔術のエネルギーに使っているものは、悪意の魔導書と同じ…人間の悪意だ。そんなものを用いていて、無事で済むはずがない。
「撃てぇっ!」
そして、アザミの異常を感知したのは、はるか遠くで艦砲射撃を行っていたロスウィードも同じであった。そして直感で分かった。アレはヤバい。あのどこまでも深く暗い、底なし沼のような魔力を放置していい訳がない。
直感とほぼ同時にロスウィードは命令を出しており、そして戦士団もそれに応えられるよう準備済みであった。アザミの遺体が確認できるまで油断などしない。想定外にもいち早く対応し、不安の芽を早期に摘む。ロスウィードもウェリナード軍も、油断も慢心も無く魔女を討つ事に全力であった。だが。
「舐めるなっ!」
不意に、ぐにゃりと空間が歪む。重心がグラつき、足元がフラつき、酔いに巻き込まれるような感覚。アザミの専門魔術の一つ、重力魔法の行使だった。
それらはあっという間に範囲を広げ、やがて放物線を描く砲弾にも届き、そして地面に叩き落とされた。普通の人間ならば立っている事すらできない重力空間があっという間に展開され、その瞬間遠方からの艦砲射撃は封じられる事となる。
だが、リンドウが驚いたのはそこではなかった。
「お前…悪意を…。」
「私を舐めるなよ、リンドウ。こんな雑味塗れの悪意で、私の意志が穢されることはない。こいつらはただの魔力として利用しているだけだ。」
「そんな真似…。」
「お前は悪意を祓う術を研究していたが、私はあれからもずっと、悪意になったエネルギーを使えるようにならないか、研究してたんだよ。」
悪意の魔導書は悪意の込められた魔力によって動いていたが、アザミは今まで焚書してきた魔導書から魔力だけを抽出し、それを自分の外付けの魔力として利用していた。だがそれも完全ではないようで、人間の悪意という雑音は混じっているらしい。
アザミは穢されていないと言うが…正直、見分けはつかない。アザミが本当に悪意に意志を捻じ曲げられていないのか、それとも本当に克服しているのか。ただ一つ分かるのは、アザミは再び戦える状況になっているということだ。
「お前は右も左も分からない状態で他人を殺すのか?違うだろ?狂気に魅入られてて、まともに人が殺せるか。」
「…まあ、そうだな…。いつだって正気だよ。私も、お前も。」
こんな世界に長く身を置いてきたリンドウだからこそ分かっていた。人はみな、正常な思考を以て、殺し合う。
何かに導かれるようにではなく、殺し合いを選んだのは私達、当の本人達だ。己の意志で、己の力でその道を選んだのだ。…やらねばやらないと、知っていたから。
やりたくはない。やりたくないが、やった。嫌だが、やった。必要だから、やった。
そこに狂気は無い。あるのは正気だけだ。
正気の沙汰ほど、何より残酷。
復讐を誓い、多くの命をその手で殺めたアザミも、かつての親友との再会を喜び、それでも殺すことを決意したリンドウも、悪意になど邪魔されてはいない。
「第二ラウンドだ、リンドウッ…!」
「上等だ…アザミ…ッ!」
たとえそれが、魔女の宿命なのだとしても。