それは、決して拭えぬ過去の記憶。
今でも鮮明に覚えている。
私に撃たれた、師匠の顔を。
「くそっ!どうして…どうして、こんなことに…!」
横たわる名前も知らない術者。
血に濡れた魔導書。
そして…静かに顔を伏せる穏やかな師匠の影。
「よくやった…リンドウ。それでいい。やはりお前は、やるべきことをやれる人間だ。私には…それが何より嬉しい。」
ぐったりと壁に寄り掛かり、明らかに血を流し過ぎていながら、それでも優しく笑ってマスターは喜んでみせた。そんな場合な筈がないのに。
「何言ってんだマスター!なんで私なんかに…!」
分からない事だらけの中で、どうして、と混乱し問い質し続ける。
やるべきことに、感情がついていかない。
「ちょっと黙ってろ!すぐ治療すっから…!」
ぐったりと倒れる師匠の肩に触れる。
途端、手に広がる生温かい血の赤。
「あ…。」
優秀な魔法使いを目指して、沢山のことを勉強した。
魔法も、体術も、剣術も、歴史も、工学も、占星術も、地学も、軍事も、薬学も、…そして、医学も。
だからこそ、解ってしまう。解ってしまった。
血を流し過ぎていた。もう、手遅れだということに。
「なに…気にするな。私が悪意の暴走を見誤らなければ、お前に私ごと撃たせる必要もなかった…。私が魔女として未熟だった…それだけだ。」
そんなわけない。未熟な訳があるものか。そんなことを言うな。
「それに…どうせ私はもう長くはない。結果は同じさ。」
嫌だ、受け入れないで。こんな終わりを、こんな死を。
「なんで、こんなことに…!ようやっと、ヴェリナードの食客に認められるところだったじゃねえか…!」
どうして。
どうしてそんな簡単に言えるんだ。
どうしてそんな風に割り切れるんだ。
どうしてそんな顔で言えるんだ。
どうして、私を責めないの…!
頭の中が涙でぐちゃぐちゃになって、記憶の中でもそのときなにを感じていたのか、何を見ていたのか、何を言いたかったのか。それももう、誰にも分からない。
ただ覚えているのは、最期へと向かうとは思えぬほどの、師匠の穏やかな顔と声だけだった。
「いいか、リンドウ。魔女が欲しがるものは第一に石。次に術だ。
そいつは…私の禁呪…『スターバースト』を奪おうとした。けどそれは、自他の命を容赦なく削る禁呪だ。
長い研鑽の果てに、魔女は辿り着いてしまったんだ。人の域を超えた、世界をも滅ぼしかねない禁呪を。そんなものは…広めるべきじゃない。
だから、特殊な詠唱(パスワード)で厳重にロックするんだ。
けれど…悪意に染まったその魔術師は…もう余裕が無くてな。悪意に付け込まれて、『奇跡』なんてものに手を出してしまった。その結果が、このザマだ。
それでも…おいそれと禁呪は渡しちゃいけない。」
知らない。知らない。知らない。
今はそんな話なんてどうでもいい。そんな遺言じみた教え、聞きたくもない。
「だからって…それで死んじまったら元も子もねーだろ!そんなもんに命かけんなよ!逃げちまえばよかったじゃねーか…!」
そうだ。そうしてしまえばよかったんだ。
200年以上を生きていたんだ。たった一人で。
悪意と戦い、偏見と戦い、世界と戦い、それでようやく世間に認められ、ヴェリナードの女王様に受け入れてもらえたのに。
ようやく温かい日の下で、魔女であることを隠さず生きていけるはずだったのに。
なんで、私なんかを庇って死ななきゃならないんだ…!
「ばーか。私が逃げたら、狙われてたのはお前なんだぞ、リンドウ。師匠が弟子を売れるかよ。」
いつものように、穏やかでやさしく、マスターはそう言ってみせた。
それが当然であるように。何のひねりもないシンプルな理論だと、諭すように。
「色んなことをお前に教えてきたが、禁呪だけは、教えなかった…。余計な重荷になってしまうからな…。どちらにせよ、習得できる奴なぞ、私以外にいないと思っていたが…。
お前は、私にはもったいないほど、優秀な弟子だったからね…。幸か不幸か、お前は猿真似が得意にもほどがある。」
違う、違うんだ。私はただ、マスターの傍に立てる魔術師になれば、それで。
「できたら一生使うなよ、リンドウ。壊す事しかできない代物かもしれんが…お前ならきっと、別の使い方を見つけられるさ。」
頬に、マスターの手がそっと寄せられる。ゆっくりと、撫でるように、確かめるように。
ああ、私はここにいるよ、マスター。だから、だから…そんな風に受け入れないでくれ。満ち足りた顔をしないでくれ。
「私はもう…十二分に生きた。燃えるような、恋を生きた。」
「ああ…愛してるよ、リンドウ。」