「これで、終わりよっ!」
突入から僅か20分後。かいりを先頭に進んできた陽動組は、最後の怨霊たちを薙ぎ払って無事その役目を果たした。メンバーには多少の一仕事終えた後の疲労があるだけで、魔瘴も怨霊の影響もない。作戦は極めて順調であった。
だがしかし、かいりは先ほどから…いや、この村の森に足を踏み入れた直後から嫌な予感が止まらなかった。ぞっとする寒気が収まらない。心臓をチクチクと突き刺してくるような黒い靄がぞっとしない。
今まで数多くの冒険に身を晒してきたが、これほどまでに気が進まないクエストというのは初めてであった。最後の方の戦闘は、その不安を掻き消したがるように剣を振るっていた気さえする。
「あ、皆さん!」
はっと気を取り戻したのは、探索組として別れていた筈のブラオバウムの声だった。どうやら互いに役目を果たし、無事に合流できたらしい。
「ユウリさん、大丈夫ですか…?!」
「う、うん…ちょっと疲れちゃっただけだから。」
浄化を担当したユウリも、無事その任を果たし終えていた。天地雷鳴士の一族のみが知る、より深い次元の力を取り出す幻魔の秘術。その圧倒的な浄化の力を以て、無事近辺の大半の魔瘴の浄化を成し遂げたのだ。
全員が特段大怪我をした様子もなく、改めて冒険者の強さを思い知る。自分も彼らの強さをすべて理解している訳ではないが、おそらく合理性とか論理とか、そういうものばかりでしか世界を計ってこなかった身としては、反省点も多い。互いの奮闘を労い、無事を喜び合う。今はそれだけでいいのだろうけど。
「さて、と。」
今まで通って来た道に背を向け、村の最奥部への小道を見やる。
リンドウは、悪意に満ちた存在を相手にしてきたことは何度もある。悪意に呑まれ、目的と手段が入れ替わり、生きている理由さえ忘れてしまった亡者のような存在。悪意が実ってしまった結果、その成れの果ての後処理をしたこともあった。どちらも、思い出して気持ちのいいものではない。
愛する妻を生き返らせるために、子ども達の命を糧にして死者の蘇生を試みた貴族がいた。
国を救うためにと一心に祈らせ、敵も味方も滅ぼすような怪物を生み出した巫女がいた。
故郷を滅ぼされ、仇を討つためにと敵を殺し尽くし、修羅道に堕ちた血染めの勇者がいた。
数えきれないほどの悲劇を見た。事前に止められていればと、何度も思った。こんな未来を回避できていればと、後悔することもあった。
しかし悪意の魔導書は、先回りして処分するといった事はほぼ不可能に近い。出来ることと言えば、その悪意が二次被害を生み出さないように大元の張本人を始末するか、使い捨てられた魔導書を焚書するか。悪意によって滅茶苦茶にされてしまったものを戻すこともできない、完全な後発。ゆえに、その存在は許してはおけない。
だが、おそらくこの先にあるものはそのどちらでもない。
言うなれば、剥き出しの悪意。本来なら形を成すはずがない悪意が、姿を成してこの村の最奥に留まっている。吐き気を催すような邪悪が、すぐそこにある。
他の面々も薄々気づいているようであり、特に疲労を重ねたユウリやブラオバウムはその色が濃い。そしてそれ以上に気分を害されている表情が浮かんでいた。弟子二人はまだかろうじて何ともないようだ。日頃から心のファイアウォールを鍛えさせておいて正解だった。
やはり長居はダメだ。使いたくはなかったが、失敗作と言えど、あの魔術で一気に消し去るしかないだろう。が、その前に。
「顔、怖いぞ、英雄サン。」
とん、と背中を叩いてやれば、びっくりしたようにかいりの背が伸びる。自分でもそれほどまで固く怖い表情をしていたことに気づいていなかったようだが、諭してやれば普段通りに戻ってくれた。
「…うん、大丈夫。大丈夫よ。」
「そっか。さすがは英雄サンだ。」
「なんか引っかかる言い方ねー。」
よし、いつも通りだね。そう零すリンドウの顔は何一つ揺らがない事を知って、かいりは何となく理解してしまった。
ああ。彼女はこんなものを、ずっと相手していたのかと。
未だこの嫌悪の正体は分からない。この先に何が待ち受けているのか、皆目見当もつかない。それでもわかることは…自分はきっと、この向こうの存在に近づいてはならない。それだけだった。
「じゃあ、行こうか、皆さん。…あまり、近付き過ぎない方がいいけれど。」