世の中には環境決定論というのがありまして
より良い人生を送るため
より良い仕事を得るため
より良い人と出会うため
そのためにはそういった環境に身を置くことが大事だというような考え方です。
確かに人間て環境の産物であり、環境に規定されて生きています。
しかしそれは自分の可能性を狭める事にもなりかねないのです。
意図的に今の環境を変えようと思っている人は多いとは思うのですが、実際にはなかなか一歩を踏み出すことは出来ずにいるのではないのでしょうか?
DQXのようなMMORPGではその気になりさえすれば様々な人と交流を深める事が可能ですね!
私などチームに新しい子が入ってきたり、新しいフレンドができたりすると嬉しくなってしまい
その人がどんな人なんだろうとか色々興味が尽きない性分なのですが、必ずしも皆がみなそうでも無いようですね…
なかには何処の馬の骨とも分からない話した事も無いような人とは遊びたくないなどと平然といって退けたりする人もいます。
それよりか何時もの気心の知れた、決まった人たちと遊んでいた方がよいという訳ですし、それどころか自分たちと考え方の違う人を積極的に排除しようとする人までいたりします!
その方が安全で安心だし、何よりも効率がよいからです。
効率的な事を考えるとそれはそれでいいのかも知れませんし、私も全部を否定するわけでは無いのですけど
それって本当に楽しめているの?って何時も疑問に思っています。
それにちょっと嫌な言い方しますけど所詮ゲーム内の付き合いですし、どんなに仲良くやっているようでもその実驚くほどの義理人情の無さと薄っぺらい関係でしかないわけで、気付いたら誰も遊ぶ人が居ないなんて事態になりかねないのではないのでしょうか?
私は所謂、効率厨と言われる人たちが苦手なのですが(あくまでも苦手なだけで嫌いというわけでもないのですが…)
勿論、それは私個人の考えでありまして誰もがこの意見に賛同できるものでは無いことぐらい分かっております。
(注)ここから先は大変下品な内容になっております!!Σ(×_×;)!!!!
「ある効率厨の末路」
とある街に効率重視の男がいました
その男は何をやるにも効率的ではないと気がすまない性分でした
ある朝、出勤前のことです
何時ものように朝食をとっていたとき
男は突然こう思いました
「自宅で朝飯食ってるなんて時間の無駄だ、実に効率が悪い!」
そこで男は翌日から近くのコンビニでオニギリを買い
電車の中で食べる事にしました
コンビニでオニギリを買った男がしばらく歩いていると
突然お腹が痛くなりました
駅まではまだ距離があり、先程のコンビニまで戻ろうかとも思ったのですが
「コンビニまで戻るなんて時間の無駄だ、実に効率が悪い!」
と、男は思いました
そこで男は近くにあった茂みに向かいそこで用を足す事にしました
男は
「ただ何もせずに用を足しているなんて時間の無駄だ、実に効率が悪い!」
と思いました
そこで男は先程買ったコンビニのオニギリを食べる事にしました
すると男の手からオニギリが滑り落ち
男の排泄物の上にポトリと落ちてしまいました
それを見た男はこう思いました
「これは実に効率的だ!」