DQ10も2周年に入り、さまざまな変化があり、そしてみんなが楽しめるゲームになってきました。
バージョン1のころはとにかく今よりギスギスしており、敵の取り合い、メンテ地獄、レベル上げ戦争、というように今思い出しても阿鼻叫喚のプレイヤーたち。「ヒャッハー!ここは通さねえぜ!」「ひでぶっ!」「ケーン!」というような断末魔がが響く狩場、世はまさに、世紀末だった。
今や王家の迷宮、討伐依頼によってGやカードの「ばらまき」が行われ、あらゆるプレイヤーが気軽にボスに行けるようになった。
しかし、このような発言はまだまだ消えない。
「この前迷宮で地雷にあってさー…」
「強ボスいったらptメンバーが地雷でさー…」
「てめえらの血は何色だぁぁ!」
しかし、ちょっと待って欲しい。
ここでいう「地雷」とはなんなのか?
●あなたの地雷、私の地雷、みんなの地雷
地雷、地雷と呪文のようにみんな言ってはいるが、地雷とはなんなのか?
↓以下グーグル先生に聞いた結果引用
【オンラインゲームにおける「地雷」とは、他のプレイヤーの迷惑になる行為を行なうといった、総じて「一緒に行動したくない」プレイヤーのことを指す。これは、踏んでみなければ分からない=一緒に組んでみなければ分からない、ということから「地雷」と呼ばれるようになったとされている。】
ほうほう、なるほど。
DQ10での地雷はこれになぞらえれば、行動地雷、装備地雷、性格地雷の3パターンに分けられると思う。
しかし、ここで言及するのは「行動地雷」と「装備地雷」に限ることにしたい。紙面の都合ってものがね。
そこで本題である。「装備地雷」「行動地雷」ははたして万人に共通なものなのであろうか?
まずは装備地雷。
迷宮で裸だったから地雷、ボスで耐性ないから地雷、特定のスキルがないから地雷。
んーまあ分からんでもないが、迷宮はどうでもいいじゃねえか。許してやれよ。
そして「ボスで耐性ないから地雷」。これが後述の「行動地雷」と並んでトップ1、2なんではないだろうか。
しかしみんな、想像してみてほしい。
天魔に行った時のこと。ラリホーで眠るマセン。ロボに行った時のこと。転ぶマセン。
僕にとってはあまり地雷ではないのだがどうかな?
一方、
天魔に行った時のこと。ラリホーで眠る僧侶。ロボに行った時のこと。転ぶ僧侶。
こっちの地雷感ハンパねえよな。
何が言いたいかというと、「この職業なら当然これくらいの耐性は身につけておくべきだよね。」というプレジャディスがみんなの心の中にはあるのだ。たしかに僕もそれは持っている。恥ずかしい話かもしれないが。
つまり装備地雷はみんなの心で決まるものなのだ。僧侶だからって、耐性ない→即地雷はいささか暴論なのではないか?
これからは温かい目で見守ってほしい。
続いて、行動地雷について。
どういった行動が地雷か、これはまさにみんなの心の中のプレジャディスが決めるものなのではあるが、それを言わせたら僕なんかは
「災厄で戦闘開始後即ヘビチャするパラは地雷」
「災厄でドルマドンをキャンショするパラは地雷」
「強べリアルで心頭滅却しないやつは地雷」
「タゲ確認しないやつは地雷」
「僧侶の祈り切れそうなのに敵に張り付いて怒涛の攻撃食らってるやつは地雷」
あげればキリがない。
これは僕が「戦闘中に気になること」を挙げ、「地雷」を付けたものである。「行動地雷」なんかは非常に抽象的かつ相対的で、それこそ人によって千差万別だと思う。僕の上記の記述を見て、「ワタシはそんな風に思わないなあ」と思う人も大勢いると思う。
しかし、だ。
それを「地雷」というカテゴリーに一括りにして、一種の差別的な見方をするのはどうか。
地雷にはあなただけにとっての地雷もいるし、私だけの地雷もいるし、当然、みんなが納得する地雷もいると思う。だからこそ、
「○○なやつがいてさー。地雷だよねー^^」
この発言は非常に危険な発言であることを自覚していきたい。僕はそう思うわけである。
まあなんだかんだ言ったけどさ、強べリアルでブレス耐性なくて火耐性飯も食ってないやつで心頭滅却しないのは地雷だよねー^^