確実性のあるものとは、=『確定した価値』のこと。例えば物と確実に交換できるお金。
『ガチャ』はその『確実なもの』で支払う額とその人のなかで必ずしも等価値のものと交換にならない。『不確実的な要素』を孕んでる。
ガチャを楽しむにはカンパのつもりで。本当にガチャを楽しむ人なんている?本当にその対価としての"課程"は『課金』して得るに相応しいもの?本当にいったい誰の何のための"課金"なのかと。
半ば力付くで物量に物言わせて何かを果たそう、押しきろうとする人が必ず出てきますが、二次的な動画再生回数目当て?だったり、話題作りの為にしてたりと、本筋とは別のところに楽しさを求めてるし。こうなると本当にそこに特段の価値などあるのかい?と、疑問符が点灯します。
経験上、ギャンブルなんて浪費したものが大きい割に得るものは軽く、騙された悔しさに似た後悔と空しさを手にするだけで、求める楽しさなんてそこに何も無いです。
そしてその課金(?)で得た数字は本当にゲーム作品の作り上げた評価=売り上げに加えるの?その課金がなければ運営が終わっちゃう?これなら普通にカンパ募った方がまだ見映え的に健全な気が。
不確定要素を組み込むことはゲームの基本とは言えます。その本筋の通常課金で遊べるゲームの話とその外枠に据え置かれた『不確定性に対する課金』を謳った『ガチャを課金ゲームとして成立させようという魂胆』とは根本的に別の話。
『不確実性なもの』を手にするために課せられるお金なんて社会に必要なもの?そしてそれはやってる最中楽しいの?運営費用の中に必要として組み込む認識ですかね?勿論こちらはそれに手を染める必要もないし、世間一般に許容された話などと受け入れることもないです。
運営費用としてそれらからの捻出を期待する声にも賛同いたしません。勿論課金アイテムは別ですよ?それらは確実に等価値のものとして交換できるので。
不確定性に隠れたギャンブル資金を課金と呼び、迎え入れるのはいささか人の認識として危うさを感じます。