問題にされている3DSの『無料期間における措置』について、運営の下した判断がどうにも解せないでいるので書きます。
目を通すと一読しただけでは要領を得ないほど煩雑にあれこれ’制限’を課されています。けれどその措置を受ける「3DS環境を利用するユーザー側」には何の落ち度も無いわけです。そうなった責任は任天堂側にも、3DSにある訳でもない筈ですよね。
ここに至る迄何の問題もなかった"3DSの環境"が突然問題視される事になりました。はて、その原因を作ったの一体はどちら側であるのでしょうか。
『無料で遊べる3DSでは…』とのニュアンスに始まる釈明の冒頭ですが、『3DSは’ただ’で遊べる』かのように印象付けられていますが、それは本当でしょうか?
その代わり、3DSで遊ぶ人は『課金料金は他のプラットホームより1.5倍多く支払う』という条件が課せられてるのではないのですか?
それを年間費用に換算すると、『およそ7千800円(税込)』他のプラットフォームより多く課金代金を月々支払って要ることになります。これを仮に『追加Verパッケージ代金』として"3千500円(税別)"と計上すると、3DS環境(のみ)で遊んでる人は、年間『パッケージ二つ分の代金相当額"を支払っている』ことになりますね?
狂った前提で言い訳が正当性を得て行く過程に立ち会っているようで、看過出来ないんです。その弁明には多くの違和感を感じます。違和感の’最たる部分’は"ここ"ですよね。全く腑に落ちるものではない。お門違いもいいところです。
『無料で遊べる3DSは…』との前置きから「差別的に制限措置を施す正当性」を述べたてるのはさすがに無理筋。話のすり替え甚だしく、3DSで遊ぶ側への影響を配慮しているとは到底思えないんですよ。そこにくっつけられた負のイメージも併せてちょっと無責任だと感じるんです。
更にそのような『まともに遊ぶことも出来ない"無料期間"』を『サービスですから』と言って押し付けるのもおこがましすぎる。
『別にサービスは要らないからまともに遊ばせて』と言っても、
『悪用されると悪いので』って返上を許さないのは言い分がやっぱりおかしい。もう一度よく考えて欲しいんです。
運営:『イエ((‘д’o≡o’д’))サービスです』
3DSユーザー:『じゃ、まともに遊ばせいっ(`Δ´)/サベツスンナ』
勿論、『不正ができると踏んで3DSを購入した方』はそこに混じってませんよ?
誰かを擁護するつもりは特にないですが、全く不正とは縁遠いものを巻き込んで負のイメージ擦り付けたり、何か全体を守る雰囲気で世論を捲し立て事を動かしていく危うさ。"正しいことをやっている体"を醸す一方で、一方を悪と飾る巧みさ。そこに責任転嫁して問題の本質を覆い隠して自らの落ち度を棚上げ。
もし企業のトップなりが『そうした事』を一度でもしようものなら二度と信用は回復しないと感じます。それが一度でもまかり通ったらなし崩し的に社会は(物量的に)強い言い分にだけ流されていくこととなります。
『筋の通らない理屈と嘘と差別と偏見がだいっ嫌い』(配慮があって誰も傷つけないものなら別)なので、世間一般そうしたことは普通、"看過出来ない"ものであるはずなんですが。
こうした不正としたものはハード面での問題にして片付ける前にソフト面で変更し、回避する対策を打てなかった事も致命的だと思いますし、まずその努力を見せるのが筋かと思います。それがままならないという状況であるなら、そのことによる非を素直に詫び、説明した上で『3DSにもユーザーにも迷惑を掛ける事になりました』と一言あれば良いだけなんだと思います。
それが筋でしょう?本当ならばそれだけで充分なんでしょう?それが出来ない企業ならちょっと考えてしまいます。
そもそも記憶が間違っていなければ5年ほど前には『3DS版』として『レジストレーションコード付きのパッケージ(特典付きで)』を2千円台で店頭販売していた筈です。その時点で「無料じゃないじゃん、課金じゃん」と思いましたが。市場にはまだその時の未開封のものも残ってるはず。
購入特典として、あるいは営業の一環として『サービス』のつもりで『遊んでみて』と言うこと(最初の30日分の無料期間を提供する)だけであるならまだしも、『制限が掛けられて皆と一緒にまともに遊べないもの』に強制力が伴う(しかも3DS版だけ)なんてこと、前代未聞です。
何故3DSが『悪用、不正御用達ツール』といったレッテルを貼られるんですか?誰を庇う為に?
3DSでDQXを遊ぶ環境の何が悪いんでしょうか?まさか『その環境に固執することがいけない』、とか、『その環境であることは不運だったね』とでも言うおつもりででしょうか?