■現実には経験するのが難しい体験を擬似的にできるとしたのがVRゲームのコンセプト。
現代、そこに用意されるのは擬似リアルの3Dフィールド。
だとしたら、平面世界のRPGの良さとは何だったか。
テキスタイルでシンボリックな表現から発想される無限性。
制限の中で読み取る側を想定した可能性の圧縮。
脳内視界で展開される発想力の方向性と趣き。
であれば、平面世界の3D化に当たって『表現したい』とする方向性は『表現できる』となったときどう変化したか。
当初から現在までどのように変化してきたか。
その時々のコンセプトにどのように表現の方向性が纏められてきたか非常に関心あり。
■遊びの部分とは単純化すると『創造と破壊』。そしてまたそこから得るのは『より良くあろうとする成長性』。
◆創造性の発露(潜在的自己の発見への期待=発想力の訓練)
◆目的達成迄のプロセスを学ぶ(目標物の設定▪構造物の仕組みを分解して組み立てる能力を養う。
◆成長要素の開発(疑似世界ならではの経験も実体験同様に感動を呼ぶものであれば、そこには実社会に於いて役立てられる感性開発が期待されもする。むしろ実社会において不足気味で、枯渇状態にあるのは人の感受性と想像性の力。
いくら模倣品、代替品と言えども、想像性がそこに求められ、感性を開く必要に迫られるのなら、それはその結果に求められる予測を手にする。因果を理解し、予測能力を養う上で、ゲームは大いなる手助けをしている可能性がある。勿論種類と質にもよる。
事を起こす前に起こりうる結果を知る能力は実社会で連日起きている大人たちの起こす失敗や敗因の原因を探る上でも非常に役に立つ。因果を計る能力は社会に出る前の子供たちの感受性の発達によい影響がある。それはつまり、自分たちが振り回されているものの正体を掴むこと。
行動前にしっかりと予測を立て、こうなるだろうという期待をもって結果を知ろうとする行為の反復がゲームの特性。大事なのはそこで得た結果と自分が求めているものとの間のズレをきちんと掴むこと。
好奇心と探究心を充たせる場所で自発性と自分の伸びしろを発見すること。自己裁量と自身の想像力の自由度の幅を知る。足りないと感じるもの、挑戦したいものが見つかったとき、そこに今自分の持っている知識の幅と高さと奥行きを知ることになる。
それらを踏まえて今一度ゲームというもの、そしてその拡張性というものを捉えて今後のゲームの、社会の、長期運営の力点について話し合いがなされて欲しい。
■ストーリー部分を除外して感動と成長要素を盛り込むことは可能。むしろゲームという媒体で遊びとして必要とされるのはそれ。