「プロデューサーの人選に堀井雄二氏が全然関わってなかったことに驚くわ」というコメントが目に留まりました。
鳥嶋「プロデューサーってスクエニはどういう基準でどういう風に堀井さんに次はこの人がプロデューサーって言ってくるの?」
堀井「いや、適当に決めてくるよだいたい」
鳥嶋「それで(いいの)?」
堀井「まあ、誰でも大丈夫かな」
鳥嶋「誰でも?
堀井「形できてるから。決まった方式で」
鳥嶋「誰でも大丈夫?」
堀井「何回か言ったけど」(聞き取りにくいので間違ってるかも)
一同爆笑
まあ、色々と納得いきますね。
だけど、公共の発言としては軽率に映ります。
プレイヤーや社員に失礼極まりないんじゃないかと思う。
そしてこの考え方は、形式重視で個々の魅力が引き出せる環境とは到底言い難いんじゃない?
さらには、その形式が、
時代にマッチしているか、
バイアスにかかっていないか、
社会的、倫理的に問題ないのか、
色々と考えさせられる会話ですね。