色気のある文章を書いてみたいなあと思った。
と言ったところで、例によってこれは抽象的な願いであり、漠然としている。一体全体「色気のある文章」とはどういうものなのか、具体的に言語化できていないので、
「書きたい」と願っても、場当たり的にそれっぽい言葉を並べ立てるだけで、腕を磨く、ということも、方法論を確立する、ということもできないのである。
……とまあ、今書いたような文章を、読んでて色気があるなあと感じる。具体的に言うと書いた人の内省的(そして自己批判的)な思考の足跡が辿れる文章。
愛嬌のある言い回し(文体)が伴うとなお良いのだけど、文体はマジで即席に拵えられるものではない。
病気が発覚するまでの数年間、文字通り病的にネガティブな状態が続いた。それはまあ悪いことであったのだろうけど、冊数を読まんくせに小説が好きだったこともあり、
脳の疾患によるネガティブが、内省的である種自己否定的な文学観と結びついて、我ながら独特な人格を形成していたようにも思うのだ。
当時の日記を読み返すと、直観や場当たり的な印象に向かって論理が飛躍していて、支離滅裂であるが、文章に色気がある。
年月が経って服薬するようになり、情緒が安定して、日々のあれこれ一つ一つに拘泥する機会が減ると、内省したり落ち込んだりする機会も減り、色気のある文章を書けなくなった。それは自分として、悲しいことである……
と書くと読む人によっては心配させるような文章に感じるかもしれないが、安心してほしい。てんこさん今回は目標に向かって文章を書いている。
つまり、「色気のある文章を書けなくなった」という一文がすでに内省的かつ自己批判的であり色気を孕んでいるので、冒頭の願いは叶った。
今でもその気になれば内省的になれるし色気のある文章も書ける。この結果にてんこさん思わずにっこり。