この前の土曜日だったか日曜日だったか、ワッチョイ56=僕と決め付けて、5ちゃんねるのバトルトリニティースレにコメントしている奴らを凸ってやったw
奴らになんでワッチョイ56が僕となるのか聞いてやったが、奴らの主張は、「口調がワッチョイ56に似てる」、「同一人物な感じがする」、「ワッチョイ56が晒す害悪プレイヤーリストにりくが入っておらず不自然」などなど、まったくショボすぎな理由でぼくがワッチョイ56と決め付けていることが分かった。しかも2年以上もwww
ぼく、5ちゃんねるに投稿なんて、自分はワッチョイ56じゃないということが言いたくて、そんな内容でしか投稿したことないし、それも数ヶ月に一度の感じでしかしたことないのに「口調が似てる」とか、よくもまあそんな薄ぺっらい理由で自信満々になれるもんだわw
ぼくから「もっとクリティカルな証拠はないんかい?」と聞いたら、それには一切スルーやw 要するにないねんw
挙げ句の果てには、別人という証拠を出せ的な、ワッチョイ56と組んでバトルトリニティーで配信したら認めるとかw
ならワッチョイ56を呼んで来いよ
もうね、奴らには常識すらなく議論すらできないことが十分わかった
ちなみに、「悪魔の証明」ってのがあってね、ここでいうワッチョイ56がぼくだと主張する奴ら、違いますというぼく、法曹界において証明責任があるのは、「である」と主張する側なんですよw
つまり、奴らに証明責任があるんです
以下、コピペ
「悪魔の証明」(probatio diabolica。ラテン語)という言葉をご存じでしょうか。
通常、事実の有無の証明が問題になる場合、「ある」(積極的事実)という証明は難しいですが、「ない」(消極的事実)という証明をすることは著しく困難、あるいは不可能です。
一般に「ない」ということを証明することを「悪魔の証明」といわれます。
「ある」ことの証明は、特定の「あること」を一例でも証明すればすみますが、「ない」ことの証明は、能力、時間に限りある人間のできる業(わざ)ではありません。
ですから、訴訟においては、「ある」ことの証明は、当該事実を主張する側が証明する必要があり(立証責任は自分にある)、訴訟においては、「ない」ことの証明は、当該事実を主張する側が証明する必要がない(立証責任は相手にある)とされている場合が多いです。
これ、世界でも常識なんです
ぼくが別人である証明なんて不要で、同一人物と主張する奴らがそれを証明しなくちゃいけない
それがですよ、「口調」、「感じがする」、「不自然」などの「個人の感想」で2年以上、人を貶める行為を続けるって、社会において許されるのかってつくづく思います
バトルトリニティーはやってはいけませんw