「だれ!?」私は思わず声をあげた。
すると、さっきよりもハッキリと声が響いた。
「だれか私の声が聞こえますか」
それは、あの女性の声だった。
「聞こえてるわ、あなたは誰なの?」
私が声に応える。
「誰かいるのね、あぁ、よかった!」
その声は、まるでなにかにすがるように私に言った。
「お願い、助けてほしいの!」
状況に頭が追いついていない。
その上に助力を求められ、私の頭は混乱していた。
「ちょっとまってよ、あなた誰なの。
何処から声を出してるの?」
できるだけでも状況を整理しないと、
私の頭の中はそのことでいっぱいだ。
「ゆっくり説明したほうがいいのは分かってる。でも時間があまりなくて」
「声は、あなたのちかくに媒介があって、それを通して届けています」
媒介をとおして、それに時間がないって。
少なくとも媒介と言う言葉を使うところを見ると、
それが何かは分かっていないらしい。
全く状況がわからないままだけど、
ひとつだけ確かなことがあった。
彼女が人を選べる余裕がないほど、
何かに追い詰められているということ。
私はかるく息をすったあと、
単刀直入に声の主に問いかけた。
「私で、なにか力になれることがあるのね?」
私の答えに声の主は少し驚いたのか。
つかの間の沈黙のあと、安堵した声で主は言った。
「ありがとう。それじゃ簡単に伝えるね」
「まず媒介を探してください。声が聞こえているということは、近くにそれがあるはず」
「わかった」
声のもとを辿れということね。
たしか、私が以前に声を聞いたのは町中だった。
図書館の帰りに母と歩いていて、
その時はあまりハッキリと聞き取れなかったけれど。それから一度も声は聞いてない。
その時と同じで、いま部屋にあるものは・・・。
「これかな、少し声をだしてくれる?」
書架の前に立って私は声の主に伝えた。
声はより鮮明に頭の中に響いた。
「あなたの言う媒介は、たぶん本」
なぜかはわからない。
好きや嫌いではなく、
私がそれを本だと思ったのは単純な直感だった。
ただ、何かに導かれるような不思議な感覚があった。
「魔王の玉座……多分これだと思う」
「魔王……なるほど」
主はなぜか納得した様子で、そのまま言葉を続ける。
「それで多分間違いないわ。
つぎは、その本の周りにできるだけ多く人を集めて」
また少しの沈黙があった。
「え?」
いまなんて言ったのか。
私は耳を疑った。人を集める?
「ち、ちょっとまって、人を集めるって」
「そのとおりよ。できるだけ多くね」
友だちは姫ひとりだけ。
父と母をいれてもせいぜい3人。
親戚はみんな私が物心着く前に他界している。
つまり、それが今の私の人間関係のすべてだ。
そんな私に人を集める手立てはない。
道行く人に声をかけて周るわけにもいかない。
なにより私にはハードルが高すぎる。
そんな私にできる人集めって一体。
「あ。」
ひとつだけある。
公に人を集められて、
まさに今私が直面している問題が。
「もうすぐ、大きなお祭りがあるの。
そこでなら、人を集められるかも」
「ほんと?」
主は少し考えたようだが、すぐに出したようだった。
「わかったわ。あなたを信じる」
「あぁ、もう時間がないわ」
「あと、この事は誰にも話さないでね」
その後の言葉。
それが今でも、私の頭から離れない。
今の私をつき動かす原動力といっていい。
「あなた達の選択は、私たちの未来の鍵」
「どうか私たちを...から...って」
壊れた蓄音機のように声はかすれて、
聞こえなくなった。
何事もなかったかのように部屋が静寂に包まれると、程なくして、母が部屋にやってきた。
甘いお菓子とお茶の香りが部屋中に広がっていく。
母はテーブルにティーカップを置きながら、
書架の前に佇んでいる私に声をかけた。
「どうしたの?難しい顔をして」
誰にも話さない。
話したところで、誰も信じはしないだろうから。
あの言葉の意味が分かるまで、私は誰にも話せない。きっとその時、私はこの本を選んだのだと、
今はそう思う。
「お母さん、本を決めたの」
「選書の本ね。もしかして。」
母が首を傾げて、私に尋ねた。
「今持っている本がそれかしら?」
たとえ反対されようと、私の答えは決まっている。
「うん。私、この本にするわ」
「なんて言う本なの?」
母の顔を真っ直ぐに見て、私は答える。
「魔王の玉座」
本の名を告げた時、
母の顔が少し悲しみに歪んだように見えた。
今、私は本を両手で抱えながら、
大勢の人たちの前に立とうとしている。
数刻先には、この本が開かれる。
すべては彼女の言葉の真意を知るため。
そう、涙を堪えるような声で、彼女は確かに言った。
「滅びから救って」、と。